「地球の歴史を省みてわれわれの生を考える」

地球の歴史を「地球史七大事件」を軸にして現代的なスタイルで 概観し、われわれ人間と地球との関わりを考える。

1. Introduction

今日は、地球の歴史を語ってみたいと思います。ちょっとたいそうな題目ですが、 地球の歴史というお題をいただいて講演の要請があって、翌日までに題目を 考えなさいと言われて、あわてて考えました。実は私自身は本当の専門は 地球の歴史ではなく、むしろ現在の地球内部のダイナミクスです。 しかし、今日は地球科学者の一人として、本当の専門家でもない人間が どのような見方で地球の歴史を見ているかをお話ししたい、と思います。 専門ではないので、私自身のオリジナリティは全然ありませんが、 一般に知られているわけでもないですし、専門家でも違う考えの人が いるでしょう、という見方を紹介します。ひとつには今回から この懇話会も一般にオープンにするということでしたから、あんまり 専門的な話をするよりは、むしろちょっと専門とずれた話をする方が 醒めていて良いかもしれません。

まず、かく言う私は何をしているか、そして地球の歴史とどうかかわっているか ということをちょっと申し上げます。私自身は、先ほど申し上げました 通り、現在の地球の中心部で何が起こっているとか、海底下で何が 起こってるとか、火山の下で何が起こっているとか、そういうことを 研究してきています。そういう私がなぜこういう地球の歴史の 話ができるかと言いますと、私の師匠の一人に熊澤という者がおりまして、 ここに名前が書いてありまして、現在すでに名古屋大学を退官されて いますが、その師匠が「全地球史解読計画」という大層な名前の 科学運動をしようと言い出したわけです。それで科学研究費という お金をいただきまして、大きなグループとして地球の歴史を系統的に 解読しようということをやりました。私はそのグループに直接関わっていた わけではなくて、その周縁部にいたというぐらいのものですが、 そういうところにいると耳学問ができるんですね。その耳学問があったので、 いろいろな風の吹き回しの結果、受付でビラをお配りした、 「全地球史解読」という本の編集作業をしました。それで、 懇話会の機会にもこういうテーマでお話をさせていただく、 ということになったわけです。ですから、これからの話は その「全地球史解読計画」にかかわるそういう耳学問の成果であります。

それで、今回は以下のような内容でお話をします。 まず、全体の概要、それから地球の歴史に沿って、地球の歴史上で起った 大事件について話をしてゆきます。

さて、まず、「全地球史解読計画」では、いくつかのキャッチフレーズを 作った、というところから話をします。 学問でキャッチフレーズなんていうとミーハーな感じがして、 とんでもないと言う人も結構多いのですが、優れた キャッチフレーズは一般に浸透しますし、 専門家の間でも実は使っています。たとえば、「プレートテクトニクス」 なんていうのはそういうキャッチフレーズの一種ですし、他の分野で 物理で言うと「複雑系」なんていうのもそうです。 で、「全地球史解読計画」とその 周辺で作られたキャッチフレーズのいくつかを紹介して、 それをキーワードにして地球の歴史を見ていくことにします。

作ったキャッチフレーズはたとえばこういうものです。 今回はとくに上の4つ、すなわち、全地球史解読、地球史七大事件、 プルームテクトニクス、生命と地球の共進化についてまず簡単に 紹介してゆきます。下の方のは、それらとはちょっと意味合いが違いますので 今回は省きます。

まず、この「全地球史解読」というのは師匠の熊澤が作ったことばです。 地球全体を歴史全体をあらゆる方法で解読しようという大風呂敷気分を 表している。全地球、というのは宇宙から地球の中心まで見てやろう、 全歴史というのは、45億年前から現在、そして未来まで、全解読というのは、 いろいろな側面で見ましょう、というものです。

こういう大風呂敷を広げると、風当たりも強くて、その 批判には2つ意味があります。 ひとつは、そんなことを言っても全部などできるわけないでしょう、 もうひとつは、地球科学あるいは地質学というのはそもそもそう いうもので、何ら新しいことはないだろう、ということです。 それはどっちも正しいのですけれど、ただそう批判することには 少し見落としがあります。

それは、小泉純一郎の「構造改革」というスローガンを考えてみると よくわかります。あれもそれ自体としてはそれほど内容のない言葉です。 しかし、宣伝効果はあり、それによって人々の気持ちが変わるということが あります。「全地球史解読」も似たようなところがあります。 地学というと、ともすると地味でつまらないというイメージがあります。 もちろん研究というのは何でも地味なものでそれはそうなのですが、 そのために発想まで地味になるという危険性が常にあります。 これは避けなければいけない。とくに日本人はともするとグローバルな 発想を忘れがちで、それはたとえば、イギリスはかつて世界を支配していた という意識があるのに、われわれは世界の辺境にいるというような 歴史に基づく意識の違いもあると思います。ともかくそういう発想が 萎縮するのをやめましょうという意識があったと思います。

しかし、「構造改革」と言っているだけでは何も進まないのと同じで、 それをもう少しまともに支えるスローガンが必要です。それが、 先ほど出てきた「地球史7大事件」、「プルームテクトニクス」、 「生命と地球の共進化」の3つが主要なものだと思います。それらを これから概観して行くことにします。

さて、「全地球史」などと言っても、地球の歴史を45億年間時々刻々 わかるなどということは不可能です。どこかに重点をおかないといけない。 そこで、7つの大事件というのを設定して、そこに注目して見ていきましょう というのが7大事件という考え方です。さて、まず、地球の46億年を リニアなスケールで書きます。これは当たり前のようでいて重要なことです。 というのも、地学の教科書には、少なくとも古い教科書には、 しばしば、化石の出る古生代以降の歴史しか書かれていません。 それ以前の長い長い歴史は「先カンブリア時代」と 総称されていることがよくあります。でもそっちのほうが長いのですから そちらも重視しないと不公平です。もちろんそういう考え自体は新しいものでは ありません。たとえば、地球の45億年を1年にたとえると現世人類が現れたのは (20万年前だから)大晦日の夜11時半を回ってから、とかいう話が あります。しかし、グラフを書いたところで、先カンブリア時代が 全部白紙になっていたら意味がありません。大事なことは、ここにだいたい 等間隔に7つの事件があったと言いうるようになったということです。 その背景には、たとえば年代測定技術の進歩、プレートテクトニクス理論の 成熟、比較的簡単に外国に行けるようになって古い地層の調査ができるように なったことなどがあります。このそれぞれの事件について このあと追い追い話してゆく、というのが、今回の話の筋書きです。 ざっと見ていくと、46億年前に地球が誕生しました。40億年前になると 地表付近が落ち着いて生命が発生しました。27億年前と19億年前には 非常に激しい火山活動がありました。6億年前には地球凍結という 大事件があり、そのすぐあとで大型の生物が突然現れます。 2億5千万年前には生物の大量絶滅事件がありました。 そして現在、人類が科学を始めました。これが大事件たるゆえんはあとで 話します。

もうひとつ、話がちょっと横路にそれますが、これに関係して重要な ことです。7大事件によって語るという意味は、 事件によって地球の歴史を語るという主張を含んでいます。 これは地質学の歴史から見ると意味があることです。 地質学の歴史を見ると「激変説(カタストロフィズム)」と「斉一説」という のがありました。激変説では、地球の歴史は大事件によって作られた、 というもので、斉一説は、地球は今も昔も同じとするものです。 現代的な考え方ではどちらも極端すぎます。地球の歴史には事件もあったし、 昔と変わらないことがらもあります。一昔前の地質学の教科書を見ると、 斉一説が激変説に勝ったということが書いてあります。 ところが、これは、今では、ライエルという地質学の祖の一人と言われている人の レトリックやら、進化論に関するダーウィンの考え方と結び付いた 一種の誇大広告であるということもわかっています。 激変が確かにあったということは、中生代の終わりに恐竜の絶滅で 象徴される事件があったのですが、このときは恐竜以外にもたくさん死んでいます。 それが、空から石が降ってきたせいだということが、アルバレズという 人のおかげで、今ではかなり確立されてきたということで、そんなことを きっかけにして激変があったことがかなりはっきりしています。 で、斉一説はもうはっきり時代遅れなのですが、それが変なところで われわれの常識を形作ったりしています。私が子供の時も 地球の現象というのは何でもゆっくり起るんだよということを 教わったというふうに記憶しています。そのおかげで、 平野が洪水によって作られるのだとか、山が地震や火山噴火によって 作られるのだとか言うことが正しく認識されていない場合が多いと思います。 これも斉一説の害毒だと思っています。

あとからお話しするように、地球の歴史の中には、現在では想像も つかないような大事件があった事実はだいぶん確立されてきました。 先ほどの7大事件はそういうものです。 地球で起きていることは、今われわれが目にしているような地球の変動の 繰り返しでは決してありません。繰り返しの部分ももちろん非常に多いのですが、 現在から見ると想像を絶するようなこともあった。

さて、次のキーワードに行きましょう。『プルームテクトニクス』です。 この言葉はいま東工大の丸山先生が作りました。実は、私はこの ことばを使うのにはひっかかりがあります。 このダブルクォートは、私はこのことばを使いたくないという意味です。 でもそれに変わる良い言葉がないのでとりあえず使います。 嫌いか好きかはともかくとして、このことばの主張ははっきりしています。 それは、地球深部のダイナミクスと地球の歴史が深く関わっている ということを言っています。当たり前のような気がするかもしれませんが、 このことばが発明されたときは決してそうではありませんでした。 当時(10数年前)、地震波による地球内部トモグラフィというのが できてきて、マントルの中の対流のようすがぼんやり見えてきていました。 地震学者は対流が見えてきたで終わっていたのですが、丸山先生は そこに地球の歴史の跡が見えていることを認識しました。 最近は丸山先生の宣伝のせいでマスコミにも出てきた言葉ですが、 本質は現在の地球の内部に歴史性を見たことにあります。 「プルーム」は本質ではありません。それが私がこのことばに 引っ掛かる理由のひとつです。

逆の立場から言うと、時代の時間スケールを長く取ると、地表 付近の地質などの様子の変化を考えるときでも、必然的に空間スケールも大きく 考えないといけないということです。そういう時間スケールだと、 地球の中のすごく深いところのことまで考えないといけないし、あるいは 空から石が降ってくる話のように、同時に空の向うの宇宙のことも考えないと いけない。それが『プルームテクトニクス』ということばの主張です。

そういうわけで、それに関連して、空から石が降ってくる話を少しだけします。 空から石が降ってくる話は、先ほどお話ししたように、アルバレズが 中生代の終わり、恐竜をはじめとする生物が絶滅した事件の説明に 提案しました。これが偉大だったのは、ちゃんと証拠に基づいていて きちんと検証できるもので、実際その後いろいろな方法で検証されてきたという 点です。さらに、この話には広がりもあって、生命の大きな進化は 絶滅がきっかけで起っているのではないかという考えにもつながりました。 それは、絶滅で空白になった生息圏みたいなものを埋めるように新しい種が 広がるという考え方です。たとえば、ここにあるように、これは嘘かも しれないですが、6億年前以降の大型生物の誕生と進化に呼応して 天体衝突の数が増えているという話もあります。

さて、最後のキーワードに行きましょう。それは、 「生命と地球の共進化」です。生命と地球とは互いに手と手を 携えて進化してきた、という主張です。地球の変化は生命に影響してきたし、 逆に生命の歴史は地球に影響を与えてきました。その一つの代表は 現在の地球環境問題です。それが、人類による科学の発明が第7事件である ひとつの側面です。しかし、そのようなことは地球の歴史のうえで 過去にもずっと長い間あったのだということを紹介していきたいと思います。

以下では、地球史の7大事件という考え方に沿って、地球の歴史を 見て行きたいと思います。

2. 地球はいかなる星か?(地球史第1事件)

さて、では第1事件から行きましょう。これは、地球ができた、という できごとです。地球がどのようにしてできたかをまず語りましょう。 これが、地球がどのような星かを理解するために重要です。

宇宙は大部分がいわゆる真空です。真空といっても薄くガスがあります。 そのガスにも濃い部分や薄い部分があります。濃いと言っても地上の感覚だと 真空と言って良いようなものなのですが、ともかくそういうムラがある。 そういうところで、たとえば近所で超新星爆発があったとかいうような きっかけで、濃い部分が濃くなってムラが大きくなったとします。 ある程度以上濃くなると、あとは万有引力のために、みんな引き合いますから、 どんどんどんどん濃い部分は集まっていきます。早い話、その結果、ぎゅーと 押し潰されて熱くなっていって中の方で核融合が起きるようになったのが、 普通の星、恒星です。

ところで、その潰れるときに、ほんの少し回転成分があったとします。 ここで、角運動量保存則、これはよくスケーターのたとえというので 説明されますが、それを考えましょう。スケーターのたとえというのは、 フィギュアスケーターが回っていて、手を広げるとゆっくり回る、 手を縮めると速く回るというものです。それと同様に、ガスがだんだんと 縮んで行くと、速く回るようになります。そうすると、遠心力がありますから、 ガスがひらべったくなっていきます。この平べったいものを原始太陽系星雲 といいます。この中から惑星ができてきます。

原始太陽系星雲は大部分はガスなのですが、一部分は固体、いわゆる 塵が入っています。塵っていうのは、石や鉄や氷の粒です。こういうものが 塵も積もって山となったのが、地球のような惑星です。今言ったのは ちょっと端折りすぎなのですが、専門家にはゆるしていただきましょう。

塵も積もって山となったことの名残りは、今でも時々起こっています。 それは隕石が落ちてくることです。普通の隕石は小さいですが、 それでも地球の外から降ってくるわけなので、地球の質量はかならず増えます。 ときどき大きな隕石も降ってきます。だから恐竜が死んだりしたんですね。 恐竜が死んだのは、でっかい隕石のせいだというのは、最近皆さんも どっかで聞いたことがありますね。1994年には、木星に シューメーカー・レビー彗星というのが衝突したのは皆さん覚えて いらっしゃるでしょうか?私は当時東京という空の汚い場所にいて、 それでも見えましたからびっくりしました。彗星も地面に落ちれば 隕石ですから、そういう衝突の一種です。シューメーカー・レビー彗星は けっこう大きい例です。地球のはじめには、そういうことが もっともっとしょっちゅう起こっていましたし、もっと大きい隕石、 それは微惑星と言いますが、も降っていました。そうやって地球は だんだん大きくなったわけです。

さて、最近の天文学の大きな発展のひとつは、太陽のような恒星と その周りを回る惑星系のできかたがかなりよくわかってきたことです。 ここ10年でのもっともめざましい発見は、1995年に太陽以外の恒星で 惑星があるものが見つかったということです。現在では すでに100個を超える系外惑星が見つかっています (http://exoplanets.org/)。 こういった話は私よりも今司会をしてくださっている福井先生?(渡邊先生?) の方がずっと御専門なので、何か間違ったことを言ったら訂正してくださいね。 ということで、太陽系以外にも惑星系があることは前からある程度予想されて いたとはいえ、太陽系の形成がだんだん実証的に議論できるようになった。 そういう他の惑星系の発見だけではなく、様々の観測による発見や理論の発展が あって、太陽系のできかたがだいぶん分かってきています。そのあらすじを お話しします。

さて、そうやって地球は大きくなってきました。 地球を構成している物質は石と鉄です。それは、隕石には石の隕石と 隕鉄とよばれる鉄の隕石の2種類あることからわかります。 そういう隕石がたくさんぶつかってくると熱がたくさんでます。 その結果として、地球初期には石も鉄も溶けるくらいの高温になったと 考えられます。さて石と鉄というのはほとんど 混ざりません。それは物理化学的言葉で言うと結合様式が全然違って 方やイオン結合、方や金属結合だからです。 そうすると、水と油のように分離します。鉄と石では、 鉄の方が重いですから、鉄は地球の中心に向かって沈みます。

かくして、地球の内部構造はおおざっぱには鉄と石の2層になりました。 中心にある鉄の部分を核、もしくはコアといいます。外の石の部分を マントルと言います。現在では核はさらに2層に分かれて、内側が 固体で内核と言います。外側が液体で外核と言います。 マントルは固体の石で出来ています。

あともうひとつ重要な点は、地球の最初は熱くて、あとはどんどん 冷えていっているということです。冷えていくことが地球内部の 活動の源です。マントルや核では流れが起こっています。その 原因のかなりの部分は、冷えているということに依っています。 もっと正しく言うと、マントルでは放射性物質が熱を出すということも 重要ですが、それはあまり詳しくは言いません。

ここで、マントルが流れるということも解説しておきましょう。 それ自体は皆さんご存知でしょうけど、ときどき受ける誤解は、 マントルが液体だと思っている人がいるということです。それは 嘘で固体です。固体が流れるというのは、よく出される例は 氷河です。氷河というのは融けて流れているわけではなく、 固体の氷のまま流れています。だから石がながれても不思議ではない。 とはいえ、マントルが流れるということが受け入れられるのには 時間がかかっています。むかし(19世紀以前)は、地球の中に 液体がじゃぶじゃぶしているというふうに考える人もけっこういた。 ところがその後20世紀初めくらいまでには、地震学によって マントルが固体であることがはっきりしてきました。Wegener が プレート・テクトニクスを提唱したというのは有名な話ですが、 それが最初には受け入れられなかった一つの理由は、すでに そのころマントルが固体であることがはっきりしていたせいでした。 で、今やマントルが流れるのは当たりまえ、その上に乗っている われわれの立っている地面が動くのも当たり前、それで 地震という破壊現象がそれに伴うのも当たり前という感覚になってきている。 良く考えると当たり前でないこともあるのですが。

3. 地球史第2から第6事件

次は第2事件です。これは40億年前くらいで、地表にある最古の岩体と いうことで特徴づけられます。それより古い岩体は残っていません。

まず、それより古い岩体がないということは、それより古い時代は 隕石などの衝突が激しく、なかなか地層が残らなかったというふうに 考えられます。

それから、古い石を良く見ると、現在と余り変わらない プレートテクトニクスがすでにあったのであろうということも分かります。 当時からすでに海があってマントル対流があって、それとともに地表も 水平方向に移動していた、というわけです。そういうわけで、第2事件は 地球形成期の大騒ぎが一段落して、地下の活動が現在とだいたい似たような 感じになった時期だと考えられます。

生命が生まれたのもおそらくこのころです。もう少し前からいたのかも しれません。炭素の同位体という種類は同じでも重さの違う原子を調べると このころから生物がいたんじゃないかと推定できます。そこで 生命の起源について考えてみましょう。生命がどこで生まれたかということに 関しては現在いろいろな考え方があるのですが、最も有力な考え方は、 深い海の底の温泉、かっこ良くいうと熱水活動域、にあったのではないか というものです。まず、生命を構成する元素組成が海の組成と似通っていると いうことから、生命は海で生まれたということが一番自然です。 それから最近の分子進化学の結果からすると、始原的生物は超好熱菌、 つまりすごーく熱いところに住む菌であることがかなり確からしい。 そういう熱い環境というのは、海の底の温泉です。それから、最古の 生命の化石とみられるもの、これは35億年前のものですが、それが いた場所が、どうも海の底で火山活動が起こっているような場所で あることがわかってきました。

現在でも海底にそのような温泉がある場所があります。そういう場所では 現在も奇妙な生き物がたくさんいます。そういう生き物で目に見えるような ものはもちろんかなり進化した生物で、原始の生物とはかけはなれたものですが、 しかし、こういう場所やこういうところに住む菌を調べると、 最古の生命についての情報が得られるかもしれません。そういうことで たとえば日本でも現在アーキアン・パーク計画という共同研究が進んでいて、 私もそれに少し関わっていますが、船で観測に行ったりしています。 私の研究室で行われていることの一つは、その熱水の地下での流れを 解明することですが、その詳しいことは省きましょう。

写真 海底熱水系
図 Archaean Park

第3事件と第4事件は、非常に激しい火山活動が起こった時代です。 これの一つの解釈は、上と下の2層に分かれていた対流が 1層になったということです。そういうことが起こるという理由は いくつか考えられるのですが、そのうちの一つをお話しします。 これは東大の小河さんの考え方です。マントルは初めは暖かくて 火山活動が盛んだった。火山活動が起こると石が融けて重い石と軽い石 ができます。重い石は沈んで軽い石は浮くということで、マントルは 2つの層に分かれます。その層の中でそれぞれ対流が起こります。 だんだん地球が冷えてくると、火山活動で重い石と軽い石ができるという 作用よりも、重い石と軽い石がかき混ぜられるという作用が大きくなります。 そうすると、対流はマントル全体で起こるようになります。 ほかにもいろいろなことが考えられるのですが、マントルの中で 起こっている大きな変化が地表にも大きな影響をおよぼす、 逆に、地表で現在考えられないような大事件が起こるということは、 マントル対流の大きな変化のせいではないかと想像するということでもあります。

それと、第3事件と第4事件のあたりでは、生物界でも重要な 事件が起こりました。おそらく第3事件のあたりで 光合成が始まりました。それから時期ははっきりしないのですが、 第3事件と第4事件の間のどこかくらいで真核生物ができました。 一方で、やはり第4事件のあたりかその前から大気の酸素濃度が 増えました。酸素が大気中にでてきて、ミトコンドリアが酸素呼吸 するようになって、真核生物がでてきたんではないか、という 考え方もあります。酸素は、ものを燃やすほどに反応性の高い物質ですから、 大気中の酸素は、生物にとってはもともとは猛毒でした。 人間にとって酸素は必須ですからそうは思えないかもしれませんが、 酸素は基本的には毒で、呼吸する生物はそれを無毒化する装置を 備えています。ミトコンドリアはさらに酸素を利用するというところまで いったわけです。このように、このあたりの時代は、生物界にとっても 現在のような生物が生まれる大きなステップになっている時期です。

酸素に関してついでに言えば、酸素は海の中の鉄イオンを酸化して 酸化鉄を作ります。そのようにしてできたこの時代の酸化鉄の 量は膨大で、現在私たちが使っている鉄の原料の鉄鉱石はほとんど その時代にできたものです。

そのようなわけで、第3事件、第4事件は 我々にとっても非常に重要な時期です。

第5事件は古生代が始まるあたりで、このあたりでもいくつかの 大きな事件が起きています。まず、8億年から6億年前に 極端な寒冷化とそれに引き続いて極端な温暖化が起きたということが 2回あったと言われています。寒いときは、地球のほとんど全体が 凍り付いてしまった。そうなると、二酸化炭素が大気にたまるようになって、 あるとき突然氷が融け初めその次には気温60度とかいうような極端な 温暖化が起きたと言われています。そういう激変期です。 それから、この時期から海の量が減り始めたのではないかという説も 東工大の丸山さんが出しています。

そういう激変が起こると、生き物なんか死んでしまいそうな気もするの ですが、そうでもなくて、6億年くらい前から結構大型の生物が でてくるようになりました。5億8千万年くらい前には エディアカラ生物群と呼ばれるひらべったくてブヨブヨしたような 生物が出てきました。さらに5億4千万年くらい前になると堅い 殻を持ったような生物が一気に出現しました。これが古生代の 始まりです。

第6事件はそうやって繁栄した生物が今度は一気に絶滅しました。 絶滅と言っても0にはならないのですが、生物の科の数がほとんど 半減しています。科の数が半減しているということは、種の数で言うと 9割以上死んでいるような感じになるはずで(Raup の推算では、 絶滅しやすい科がなかったとすると 96%)、ということは個体数で 言えば九十何パーセント死んでいるということになります。 ということはこれはかなりすごい事件です。いまでは考えられないくらいに 地球上から生物が一掃されたことになります。

写真 木曾川の P/T 境界

これは犬山にある第6事件の地層の写真です。そこのところだけ 黒くなっています。他のところは赤いです。赤いのは鉄錆の色で、 黒いところは鉄分が錆びなかったということです。この地層は 海底でたまったものですから、当時の海底がかなりすごい酸欠状態だった ということを意味しています。どうしてそういう酸欠状態になったかは 謎です。なくなった酸素がどこに行ったのかも大問題です。大気中に たまったのでしょうか?そうすると大気の方は酸素ありすぎ状態で 山火事がたくさんおこったかもしれません。実際、ここの化学教室の 篠原先生のグループは火事の時にできると言われているフラーレンを 検出されています。ついでにいえば、このフラーレンの語源の バックミンスター・フラーという人は「宇宙船地球号」という 概念を考え出した人で、地球環境問題の先駆者の一人と言って良いような 人です。

こんなことが起こった理由として、東大の磯崎さんは 「プルームの冬」という考えを出されています。当時、 地球上の大陸は1ヵ所に集まっていてパンゲアという大きい大陸が できていました。大きい大陸ができるとそれは地球の中の 熱に対しては断熱材の役割をしますから、その下が熱くなってきます。 やがて、激しい火山活動が起こるようになります。そうすると 噴出物が太陽光を遮って冬のようになるでしょう。それを 「核の冬」をもじって「プルームの冬」と称したわけです。

4. 第7事件とわれわれの生き方

ここまでざっと地球の歴史のターニングポイントを駆け足で 眺めてきました。そこで、「生命と地球の共進化」のキーワードを もとにして、もう一度ふりかえってみましょう。

生命は地球の環境を変えてきました。たとえば光合成で 酸素を吐き出したというのが大きな事件です。酸素は 毒だったのですが、その結果どういうわけか酸素を利用する ことをおぼえてしまった生物が出てきました。

一方で環境の激変は生物にも大きな影響をおよぼしました。 第5事件や第6事件あるいは名前を付けませんでしたが、中生代の 終わりに隕石があたって恐竜が死んだ事件もそうです。 これらは大量絶滅を引き起こすと同時に、 おそらくそれでニッチが開いた結果として 進化の大きな1ステップになりました。

このようにどういうわけかなりゆきで、生命と地球は お互いに影響しあいながら変化してしまってきたわけです。 さて、最後に、では人間はどうか?というのが第7事件です。 第7事件は「人間の登場」ではありません。そうではなくて、 「人間が科学を始めて、宇宙や地球の摂理を知り始めたこと」です。

人間は、生物としてみると、遺伝子の九十何%はチンパンジーと共通。 ちょっと脳神経が発達しているだけの生き物です。 人間を個体として観察すると、他の類人猿との連続性がけっこう 見られる生き物です。しかし、人間集団としてみると、今や 生活スタイルから行動スタイルまで、他の生物あるいは われわれの祖先とは全く違うものになってしまいました。 20万年くらい前にアフリカにいたわれわれの祖先である ミトコンドリア・イブさんとはわれわれは生物学的には 同一の種ですが、生き物としては全く違うと言って良いのでは ないでしょうか。そのポイントは科学にあるのだ、というのが 第7事件の主張です。それには3つポイントがあります。

ひとつのポイントは、宇宙の一部である私たちが宇宙全体を語ることが できるようになった、というのは素直に言ってすごいことなのでしょう、 ということです。

ふたつめのポイントは、科学をはじめとする広い意味での知識が 集団としての人類に共有され、それが共有されることで発展していく という構造ができあがっているということです。それが おそらく人間と他の生物と全く変えてしまった決定的な ポイントでしょう、ということです。このことはいろんなことばで いろいろな人が表現してきました。私の師匠で「全地球史解読計画」の リーダーだった熊澤は人類を「知的群生生物」と特徴づけました。 つまり知識を共有しながら群れとして生きるのがヒトの本質だという 考え方です。それより以前だと、たとえば生物学者のリチャード・ ドーキンスは「ミーム」という言葉を作りました。これは遺伝子という 言葉の gene と模倣ということばの mimere との合成語です。 文化というのが遺伝子のように自己複製をしたり、突然変異をしたり しながら自律的で複雑なシステムを作ってしまう、ということを 表しています。人間の脳はミームが住み付くコンピュータです。 あるいは、科学哲学者のポパーは「世界3」という言葉を作りました。 世界1は物理的対象の世界、世界2は心とか意識の世界(つまり 「わたし」の世界)、世界3というのは理論とか議論とか科学とか 共有される知識です。この世界は自律的です。その意味は、人類が たとえ滅亡しても、本が残っていれば、それを後世の生物が 解読して復活させる可能性があるということです。世界3が重要で その論理をはっきりさせることが哲学の使命だ、とポパーは考えました。 以上のように、ひとそれぞれいろいろな言い方があるのですが、 科学をはじめとする文化として共有される知識が、今の人間を 特徴づける重要なポイントであるという点において共通しています。

3つ目のポイントは、科学技術の発展の結果として、われわれが 環境を能動的にかなりの速さで変えられるようになってしまった、 ということがあります。人間の数は明らかに、能動的に環境を 変えていなければとても維持できないだけのものになってしまって います。それでかなり急速にいろいろな環境の変化が起きてしまって います。今までも生物が環境を変えてきたことは、さきほどまとめた ようにたくさんあります。今言われている地球温暖化よりも 大きな気温の変化もかつてありました。だからといってたいした問題では ないかというとそうではありません。それは、われわれは環境の 変化をコントロールできるようになってしまったし、われわれは 観客ではないので、絶滅を免れるにはコントロールしなければならない 立場に陥ってしまっているということです。

そういうことを踏まえてどう生きなければならないかを 考えなければならないというのがまとめで、結論はないのですが、 最後に面白かった議論を引用しておきましょう。

熊澤 私は未来代の究極の課題は、人類の絶滅プログラムをデザインして 実行することだという結論になると思うんです。
(中略)
知恵を持ってしまったヒトは、生前から墓をつくったり、賢く孫のために 木を植えたり、自分の絶滅プログラムを設計・実行しようとしているんじゃない かしら。立花さんはどう考えられます?
立花 いろんな答え方がありますけど(笑)、一つは、人間も地球も まだそう簡単には終りが来ないですよね。
(中略)
熊澤 アミノ酸の配列で記憶している情報を子孫に遺伝子で残していくのが 生き物である、その中にたとえば私の感情や記憶や意志までを演算する回路にして のこせるわけで、それが生き継ぎである、と。
立花 いや、そういう負け惜しみみたいな理屈を考えても何のなぐさめにも ならない。バーチャルな世界で種が存続しても意味はないですよ。やっぱり 残るならこの世で残らなければ。
(中略)
熊澤 立花さんの話は明快で楽観論ですね。
これはどういうことかといえば、「全地球史解読」のリーダーであった熊澤さんは まず、生物というのは遅かれ早かれ絶滅するものである、ということと、 人類は、ミームあるいは世界3を持っているということとを結び付けて、 人類は絶滅するのだが、人類のミームあるいは世界3を絶やさないことが 最も重要だという主張です。これに対して立花隆の主張は、 生物は決して傍観者的な生き方は出来なくて、生きるためにいかなる手段も 取るのだ、というお答えです。