日本人はなぜ無宗教なのか
阿満利麿著
ちくま新書 085、筑摩書房
刊行:1996/10/20
名大内で廃棄してあるものを拾った
読了日:2001/06/08
日本人のいわゆる「無宗教」が歴史的にどのような経緯を経て
形成されたかを解説してあり、非常に興味深い。
初詣をしたり、墓参をしたりする日本人が、なぜ「自分は無宗教だ」
などと言うのか?これに対し、阿満は、「自然宗教」と「創唱宗教」とを
区別するという考え方が有効だと提唱する。「自然宗教」とは、
誰が始めたかもわからないような、自然発生的な宗教であるのに対し、
「創唱宗教」とは、キリスト教や仏教のように教祖や経典や教義が
きちんとある宗教のことである。いわゆる「宗教」は、「創唱宗教」の
ことを指すことが多く、日本人には警戒心を持つ人も多い。これに対し、
「自然宗教」に対しては、結構熱心な人が多い。
さて、このような日本人の宗教観の背後にある歴史はけっこう複雑である。
本書の解説を要約すると、以下のようになるだろう。
- 中世においては、神仏の存在や輪廻思想が信じられていた。
人々は死後の救済に深い関心があった。
- 武家社会になって、儒教が広がり、関心が現世に移っていった。
また、江戸時代の経済発展によっても、人々の関心が現世に移る。
- 仏教は、もともとは死者を祀ることに関心が薄い宗教だが、中国を経て
日本に伝わることで、死者の鎮魂という役目を負い、それが
江戸時代の寺請檀家精度の元で「葬式仏教」へと変容する。
「葬式仏教」は、「自然宗教」と仏教の妥協の産物である。
- 明治政府は、天皇を絶対化するために、神道を国教としたかったが、
欧米や仏教勢力の反対もあり、それもできず、国家神道は単なる
儀式であるということにした。
- 国家神道の成立により、神仏が分離され、また天皇家と関係がない
身近な神々が否定された。そのうえ、国家神道は宗教ではなく
「祭祀」であるということになっていた。そのようなことで、
日本人の宗教観はおそろしく貧弱になった。
本書は、その後、伝統的な日常主義(平凡を良しとする)を分析し、
明治以前の古い宗教心の豊かさを紹介する。
たしかに、宗教という概念は、あまりにも創唱宗教に毒されている、
と私も思う。欧米でも、たとえばイギリスには、古いケルト(あるいは
それ以前)の素朴な宗教を大事にしたいと思っている人々がいる。
汎神論的な素朴な宗教(いわゆる八百万の神様)こそが、現代の
多文化な社会に良く合っているのではないかと私は思う。
本書の歴史的考察は、明治政府までに終り、その後の宗教の戦後から
現代への変質についてあまりきちんと論じていないのが残念。
宗教の現代的な在り方を著者はどう考えているのだろうか?