特集 遠ざかる「科学」をつかまえろ

中央公論 2001 年 9 月号
名大生協で購入
読了日:2001/08/18
主として、最近の、いわゆる「科学離れ」に関する評論集である。
  1. 21世紀の科学に関して
  2. 科学離れに関して
  3. 本とビデオの紹介

この中では、中野論文の指摘におもしろいものがあるので、 何カ所か引用しておく。中野論文は、まず、次のような、 日本で起っていることを象徴する文章から始まる。

「いやぁ、私は科学技術に弱いもんで…」
よく耳にするフレーズである。往々にしてこのとき、小さな笑いがともなう。 しかし、”弱い”ことを恥じる笑いではない。「科学技術は弱いが経済の ことなら…」、あるいは「科学技術は弱いがゴルフならば…」という自負が にじみ出た笑いだ。日本では、科学技術に関して無知・無関心であることが 恥ずかしいことではないのである。
これは、「理科離れ」問題を象徴する現象である。現代の世の中が、 発達した科学や技術を基盤にしている以上、ある程度の 知識と関心がないと、今後日本社会が崩壊するのではないかと 憂慮してしまう。この現象の背景の本質が何かは、この論文では それほど深くは議論されていないが、その背景となる現象として 印象的なことが2つ書いてあったので、引用する。

ひとつは、図書館が文系に傾いているということである。

”知の館”であるべきはずの図書館が、いつのまにやら傾いているのだ。 人文科学系や社会科学系の書籍・文献は、古典から現代の入門書にいたるまで 充実しているのだが、自然科学系の蔵書はあきれるほどに貧弱である。
もうひとつは、学校の先生に理解がないということである。 著者の息子さんとそのお友達が、夏休みの自由研究でホバークラフトを作り、 レポートをきちんと提出したというくだりで、
ところがその後、二人は「開発の記録」を大幅に書き換えることになってしまった。 設計や作るプロセスの説明が長すぎるので、端折るようにと学校に言われたのである。 私は、材料の選び方や使い方に、子供たちなりの工夫があり、そこを 評価していたのだが、展示用として残されたのは、完成したホバークラフトの 構造の説明程度にすぎなかった。(中略)
展示をながめてきて感じるのは、高い評価を受けるのは”昔ながらの自然観察” だということである。「身近な川に住む生き物」「トウモロコシの成長」など、 ある種のパターンに占められているといってよい。
ということが書いてある。

日本の学校教育は、「子供の感性」を大事にするあまり、論理的能力を 軽視していると私も思う。一つは国語教育がそうである。文学に偏りすぎ、 論理的文章を読み書きする能力を軽視している。上の様子だと、理科もそうである。 自然を愛でることはもちろん重要だが、それを論理的にひもとく能力も 同様に重要であることを忘れてはならない。

ところで、そのあとにマスメディア批判が書いてあるが、それには 少し賛同できないところがある。

日本のメディアは、政治や経済の話になると、重箱の底をほじくるどころか、 孔をあけてしまうほどに調べまくる。しかし科学技術がらみの事件や事故では、 手のひらを返したように内容の浅い報道になってしまう。
これは相対的には正しいと思うが、私の印象では、マスメディアは、 政治経済の話も、なかなか背景の思想をきちんと分析してくれない ことが多いので、不満である。やはり論理性に弱いのではないか。