連続特集2 歴史教科書論争を解体する

中央公論 2001 年 9 月号
名大生協で購入
読了日:2001/08/26
扶桑社の「新しい歴史教科書」問題に関する評論集。
  1. 教科書採択問題
  2. 歴史教科書のありかたと具体的な教科書問題
  3. 検定問題

「新しい歴史教科書をつくる会」による扶桑社の「新しい歴史教科書」が 話題となった。結局、議論が多いということで、採択した学校は 少なかったようである。私自身は、件の教科書も他の教科書も読んで いないので、件の教科書に関する直接的な論評の是非は良く分からない。 まあ適当に感想を書いておく。

教科書問題は、上の項目分類を行ったようないくつかの問題を含んでいる。

  1. 検定問題:検定制度の是非、ありかたの問題
  2. 採択問題:採択の制度の是非、ありかたの問題
  3. 教科書のありかた問題:教科書はいかにあるべきか
  4. 具体的な教科書問題:具体的にどの教科書が良いか
これらの問題は分けて考える必要があるが、当然切り放せるものでもない。

検定問題について、本特集では養老氏が検定を廃止すべきだと論じている。 どうせ中立ということはあり得ないし、間違いが多くても良いではないか、 というわけである。しかし、分量の関係もあるだろうが、いろいろ重要なことで 論じていないことも多い。たとえば、指導要領との関係をどう考えるのだろうか? 歴史観は自由であってもよいだろうが、最低限学ぶべきことがらは何かという 視点がないような気がする。検定を、科学論文のレフェリー制度のようなもの だと思えば、検定自体はそう悪いものではないという気がする。第三者に、 評価してもらうこと自体は、教科書を良くすると思う。

採択問題について、本特集では立野氏が東京都杉並区や栃木県下都賀地区の ルポがなされている。昨日、NHK テレビで、東京都での採択決定のようすの ルポをやっていた。私は今まで教科書がこのようなやり方で採択されるとは 知らなかった。これこそ廃止したら良いのではないかと思う。石原都知事は 「教科書を選ぶのは教師ではなく教育委員」と強調したが、理解に苦しむ。 テレビによると、教育委員は全ての教科の教科書を合計何百冊と読んで、 教科書の採択を判断するのだそうだ。とても全部まじめに読めるとは思えないし、 全ての教科にわたって適切な判断ができる人がいるとも思えない。 現場の教員が自主的に判断するのが最も良いと私は思う。少なくとも、大学では 教官が勝手に教科書を選び、適当なのがなければ自分で講義ノートを作っている わけで、使いたくもない教科書を使わされる教員の気持を考えると、 同情したくなる。

教科書のあり方問題について、本特集で、まず、村井氏がもっともな指摘を 2つしているので、それを引用しておく。一つは

「つくる会」教科書を批判する人々の間で確認しておいた方がよいことがある。 それは日本には、「つくる会」のような歴史観に共鳴し、それに沿った歴史 叙述を求める読者・学習者が、無視できない比率で存在する、という事実である。 したがって、たとえ学校からそうした歴史観を締め出したとしても、卒業後 子どもたちはどこかで必ずそうした歴史に出くわす。未知の事実を知らされた 学習者は、(それがどんなに古めかしい歴史像であったとしても)自分にとって 新鮮な歴史像のほうをより正しいと考え「転向」してゆく。しかもその過程で、 「学校で習う歴史」は「建前に過ぎない」とか、「自分はもう一つの歴史から 不当に遮断されてきた」など、学校での歴史教育に対して無用な不信感をもつ だろう。
もう一つは
「つくる会」を支持する教師は、たとえ勤務地の採択地区が「つくる会」教科書を 採択しなくても、市販版「つくる会」教科書をプリントして子どもたちに 配布することは確実である。それを止めることはできないし、止めるべきでもない。
というところだ。その上で、村井氏は自分なりの教科書モデルを提案している。

三島氏は、ドイツにおいて復古的な考え方がいかにして克服されたかを説明し、 日本でも「ラディカルな個人主義によって文化主義と手を切り、 個人保護の思想によって国家のヘゲモニー思考と訣別する」べきであるとしている。 全くその通りだと思う。松本氏は、香港、台湾、中国、韓国の歴史教科書の 動きについて述べ、扶桑社教科書を批判している。

歴史教科書問題の議論は「つくる会」のおかげでいろいろ行われるようになった。 他の科目の教科書も問題にしてほしいものである。