エコロジー的思考のすすめ―思考の技術

立花隆著
中公文庫 た 20 3, 中央公論社
刊行:1990/12/10
文庫の元になったもの:1971/05 刊「思考の技術・エコロジー的発想のすすめ」(日本経済新聞社):文庫版はこれに加筆してある
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読了日:2001/05/16

著者は言わずと知れた立花隆。30 年前の処女作に、文庫版で多少の 加筆修正したものである。近年とくに問題になってきた環境問題を 30 年前からきちんと取り上げている。本質的には当然現代にも通じる。 ただ、ちょっと見方が古いと思うところもある。

この本は2部に分かれ、第一部では、今で言うところの地球環境問題を 取り扱っている。第二部では、生態系に学ぶという感じで、 生態系のしくみから得られる教訓を論じている。

第一部の方は、地球システム・エコシステムのしくみと、その危機が 語られる。30 年前に、これだけまとまっていろいろなことを書いたのは 立派だと思うと同時に、何となく全体の観点の統一性が今一つ足りない と思うことと、最後に指摘するような誤りがあることとで、不満がある。

この本の題名にエコロジー的思考という言葉が使われていることからみても、 第二部のようなエコロジー的教訓が、本書のむしろ言いたいことであろう。 エコロジーということばは、本書にあるように oikos(家)+ logos (学問) が語源である。したがって、生物界という「家」の中で起っていることの しくみを分析してゆくということになる。ところで、一方で、最近流行の 環境(environment)ということばの語源は en(内)+viron(円)という ことで、「私もしくは人間を取り巻くもの」という意味合いが強い。 つまり、人間と外界との関わりに重点がおかれる。で、本書の立場は 題名通りエコロジーで、自然の成り立ちに謙虚に学ぶということになる。 そのような教訓集が第二部に並ぶ。たとえば、「チャネルが多いシステムは、 効率は悪いが、変動に強い」とか、「人を使うには、なわばりを尊重する ことが大切である」とか、なるほどもっともなことばかりである。


この本で見られた誤りに付いてのメモ:

私の専門に近い物理や地球科学(とくに地球物理)関連のことで いくつか誤りに気付いた。30 年前ではしょうがないと思う部分と 30 年前であっても誤りは誤りという部分もある。気づいたものを 挙げておくことにする。

p.58 l.1-2
「エネルギーは熱力学の第一法則によって、エネルギーをそのまま 100%仕事に転化することはできない。」は 「エネルギーは熱力学の第法則によって、 エネルギーをそのまま100%仕事に転化することはできない。」の 誤りであろう。しかし、その次の段落の永久機関の例は、たしかに 第一法則に反するものである。第一法則に反する第一種の永久機関と 第二法則に反する第二種の永久機関の区別がここではきちんとなされていない。
p.82 l.1-5
「地球の起源をたどると...高温ガスの塊が冷えて地球になったのだという ”火の玉起源説”...放射エネルギーによって内部が高温の熔融状態に なったのであろうと言う”低温起源説”...」とあるが、これは 現在の見方では正しくない。60年代の解説書を見るとこういうことに なるのかもしれないが、現在では、地球の集積エネルギーによって 初期地球は高温だったとする見方が主流。
p.83 l.2-4
「マントル層は...熔けた状態にあり」とあるのは誤りで、 「マントル」はほとんど固体である。「コアでは鉄と珪素が 熔融状態になっているといわれる」は、誤りとは言えないが、 珪素は主成分ではないし、どのくらいの量あるかも分からないので、 「コアでは鉄とニッケルが熔融状態になっているといわれる」程度の 方が良い。
p.83 図1
地球の断面図で、地殻をやたらと分厚く書くのは、誤解を招きやすい。 種本がそうなっていたのだろうか?
p.90-96
このあたり、エントロピーという言葉がかなり無節操に使われている。 「人間が自然の中で最もエントロピーが低い」などという使い方は いくら何でもひどい。いろいろな生き物の間でどうやって エントロピーを比べるというのだろうか?人間が一番エライ生物だと 言いたいのだろうが、どういう意味でエライのかはっきりさせずに 「無秩序さ」という雰囲気だけでエントロピーという言葉を持ち出す ことには問題がある。また、情報エントロピーと熱力学エントロピーを 混ぜて使っているが、これも許されることではない。
p.98
「太古代に帰る地球?」の項では、地球史的な炭素循環に関する認識が 誤っている。炭酸塩による炭素固定の重要さがすっぽり落ちている。 また、「太古代」という言葉も、専門的文脈では本来25億年くらいより 以前を指す固有名詞なのだが、ここでは非常に漠然と使われている。