東大生はバカになったか―知的亡国論+現代教養論

立花隆著
文藝春秋
刊行:2001/10/30
名大生協で購入
読了日:2001/12/04
本書の大部分は雑誌文藝春秋に掲載された論文に加筆修正をしたものだ。 本書の元となったものは、雑誌掲載当時から話題になり、私も雑誌を買うとか 図書館に読みに行くとかして、熱心に読んだ。当時との違いは、私が ちゃんと学生を教える立場になったことで、そういう立場で改めて 読んでみると、以前よりさらに、共感したり、参考になったりする部分が多い。

この本の題名は、「東大生は...」であるが、書かれていることは、 おおむね名大生にも当てはまるし、著者も、日本全体の象徴という意味で 東大生としたのだと思う。私も、著者にほぼ同感し、このままでは 日本全体の知的レベルが下がり、日本が没落するのではないかと思う。 すでに、現在の不況騒ぎの中に、その兆候が現れていると感じる。 ひとつには、未来数十年のビジョンで見たときに、不況とは何かを 定義してからでなければ議論を始めてはいけないはずなのに、 目先の GDP やら GNP やら失業率やら株価やらで不況を議論するという 議論の浅さが目立つ、という点がある。もう一つには、現在が仮に不況だとして、 それを克服しようとする生気が、日本全体に薄い点がある。 このようなことは、著者の言う教養の不足に起因していると感じる。

教えるという立場で言えば、大学生に何をどう教えれば良いかは、 日頃の悩みの一つである。たとえば、教えている学生のうちに、将来 電磁気学を直接使う必要のある学生が1割もいないだろうというときに、 電磁気学を教えるとして、それをどう位置づけるか? そういう点に関しては、「知の全体」の中で、学問を位置づけるという 最後の章の「現代の教養―エピステーメーとテクネー」が参考になった。 さらに、講義というスタイルでは教えにくい実践的な能力にどういうものが あるかを整理してみせているところはたいへん参考になる。 それと、現代社会のダークサイドとして「暗黒社会論」を教えるべきだと いう主張は、ちょっとびっくりしたが、なるほどと思った。

かつて東大生として育ったという立場から言えば、私自身は理学の大学院に 進んだおかげで、本書で挙げられたような弊害からはだいぶん逃れられたのでは ないかと思っている。大学院になると、教育はある意味では放任になるのだが、 そういう中で、議論する能力とか、自律的に研究を遂行する能力とか、 達意の文を書く能力とかが鍛えられるわけで、だいぶん救われる。 大学院に行かないで卒業してしまうと、たしかに、ここに書かれた通りの 東大生になってしまったかもしれない。しかし、東大は大学院進学率が 高いから、大学院に行くことで救われ方をする人も多いが、 名大くらいになると、そのようにして救われない学生も多いので、 学部の時から注意して教育しないといけない。

一方で、所属研究科が環境学研究科になったということで、環境学について 考える機会が最近増えた。そうすると、ジェネラルな知識の必要性を感じる (自分にも足りない!)と同時に、ものごとを分析する技能 (論理や数学など)を学生にきちんと教える必要があると感じる機会が多い。 それらは、本書で言う「教養」そのものに他ならない。

著者は初等中等教育にも触れている。昨今の学級崩壊の話を聞くと、 私は小中学校の先生に同情を禁じ得ず、著者の一学級20人(または 30人)にすべきたという主張に賛同する。最近、政府は無理やり 公務員を減らそうとしているようだが、学校の先生だけは、 小学校から大学まで増やすべきだと、私は感じている。 教師の平均的な質は落ちるかもしれないが、運用しだいで、 その負の面はカバーできるはずだし、何より、全てに手薄な今の 状態よりは、どう考えても良くなるに決まっている。 教育の質が落ちれば、日本全体が没落するということを考えれば、 この投資は必要であると思う。

小中学校の教育に関しては、そもそも「子供らしさ」やら 「子供の感性」やらを重視するあまり、反知性的になって いるのが、かなり根本的な問題だとは思う。それが大きく問題に されないあたり、日本の社会全体が反知性的であるとも言える。

ところで、著者は、日本と欧米を対比しているが、イギリスに行ったときの 印象では、ヨーロッパはかなり国によって事情が違うので、一緒には 議論できないと思った。イギリスでは、教育において、専門分化が 比較的早い段階から進み、大学も伝統的には3年で終わってしまう (最近は4年のところもあるが)。 だから「教養教育」はあまりないのではないだろうか。もっとも イギリスの学生は、日本の学生より、自分の考えをはっきり言う訓練が 出来ていると思うので、その意味では「教養」があるのだが。