デューイ「論理学」ノート

第3章 探求の現実的な基盤―文化的な側面

2001/07/11
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2001/09/10
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人間の行動は文化の影響を強く受けている。たとえば、言語の習得を考えて みると、人間の肉体的構造の中に文化的条件が影響するように仕組まれている ことがわかるであろう。知的な操作は、生物学的な行動の中に萌芽を持つ。

われわれのような自然主義的な前提に基づく理論においては、人類と その他の生物の大きな相違という問題に直面する。しかし、 これは断絶ではない。変化の連続と新しい活動の出現という一般的な問題の 一つの場合である。そういうコンテクストで、次の問題に着目したい。

  1. 推理や推論は、個々の人間に起こる。しかし、推論や結論が妥当な ものであるならば、すべての人が同じ結論に達することになる。 (個別と一般の相違 the difference between the singular and the general)
  2. 感情や欲望は判断に影響する。しかし、そういった個人的な特徴が 排除されて初めて、観念や信念には論理的な根拠がある。 (主観的と客観的の相違 the difference between the subjective and the objective)
  3. 有機体の行動は一時的なものである。しかし、推論の関係は 一時的なものではない。

文化的環境の中で最も重要なものは言語である。ここで、「言語」は 広い意味で考えることにする。単に話し言葉、書き言葉だけでなく、 芸術作品や機械なども含める。たとえば、機械は、分かる人にとっては その使い方や結果を語っているからだ。言語は、コミュニケーションを 行う他人との共通の観点を持つことを強いる。その度合いが強いほど、 より「客観的」になる。言語の意味は、事物に対する反応と行動を 分け持つという取り決めである。意味の一致は、用いたことばが 引き起こす活動とその結果にある。
(吉田注)このあたりの「意味を 結果の行動において考える」というのがプラグマティズムらしいところである。

しかし、書いたものに関しては、言語が共同体に対して結果を引き起こす力、 という考え方がはっきりしなくなる。そこで、言語は、それ自体完結した観念や 意味を伝える手段、とされてしまうことがある。しかし、科学論文のような 知的な読書においては、著者が行った操作を頭の中で再構成し、それに対し 賛成したり反対したりする。そのとき現実的に行動が起るわけではないが、 ある態度が形成されている。条件が整えば、それに応える行動が起る用意が なされる。つまり、 可能的な行為 (possible action)が準備される。 このような準備はあらゆる知的行動に見られる本質的な要素である。はっきり した例は、災害に備えて防災をする、といったようなことである。

言語は、ある体系の一部分として存在する。単語も語句も単独では意味を持たない。 体系の中のもろもろの意味は、同じ傾向を持った集団的な習慣や期待の中で 通用しているために結び付いている。言語には、普通の言語と科学言語の 2種類がある。普通の言語では、意味に矛盾があったりして、多様性がある。 これを一貫したものにしようというのは、本末転倒である。言語は、現実の 状況の中で初めて生きているからである。一方で、科学言語では、理想的には 単一の体系が作られる。

ここで、次のことばの区別を設ける。

シンボルは、言語が持つ単語を示す。たとえば、英語の smoke や 日本語の煙といったものである。これに対し、現実に存在する煙は、 火がある証拠となるという意味で、火の(自然)記号である。以下、 記号ということばでは、自然記号のみを指す。ここで、という使い分けをすることにしよう。 自然記号は、現実に観察された時のみ記号となりうる。 現実の煙が観測されると、火の存在が推論される。これが煙の意義である。 一方、シンボルの煙は、何の存在の証拠ともならない。 しかし、シンボルによって、さまざまの意味が関連付けられる 「煙」というシンボルは、言語の体系の中で、温度、酸素のような さまざまの意味と関連付けられる。それは、現に煙が観測されているか どうかとは無関係で、それによって他のさまざまの意味と関係付けられるという 自由度を獲得している。

次の区別をする

このことを考えてゆくと、「関係 (relation)」ということばに3種類ある という使い分けをしないといけないことが分かる。
  1. もろもろのシンボルは、たがいに直接的に「関係」しあっている。
  2. それらは、存在という操作を媒介にして存在と「関係」している。
  3. 存在は、記号によって意義づけられ証拠としてはたらく際に、たがいに 「関係」する。
そこで、ここでは次のようなことばで使い分ける。
  1. シンボル意味どうしの関係を 関係 (relation)と呼ぶ。
  2. シンボル意味が、存在に対して持つ関係を 指示 (reference)と呼ぶ。
  3. 事物相互の関係を、 結合 (connection)あるいは 包含 (involvement)と呼ぶ。

推理の力は、シンボル意味間に成立する関係の広さや強さと密接に 関わっている。現実の事物に意義づけ能力や証拠となる能力を与えるのは、 言語である。ここから、動物的な活動が知的な活動にどのようにして 転化していったのかを考察することになる。

  1. 文化は、言語の条件であると共に言語の産物でもある。
  2. 言語によって、動物的な活動が新しい性質を獲得する。 たとえば、食事は祭りや祝典となり、食物の調達は農耕や物々交換という 技術となる。
  3. シンボルによって、生物自体が変化しなくても、以前の経験を 組み合わせて保持しておくことができる。
  4. 活動をシンボルで代理させることで、行動の思考実験ができる。 思考実験によってうまく行かないことが分かれば、そうならないように 対処ができる。
このようにして、行動に変化が生じて、それが論理学の萌芽となる。

ギリシャにおいては、論理が実体化されることになった。これは 探求の発達を妨げた。それは現実の操作を無視しているからである。 理性が実践より高い位置に置かれた。これは知識人と職人の地位の差という 社会秩序の鏡に他ならない。

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