ここで、探究の二つの種類を区別することにする。
常識 (common sense) には二つの意味がある。
常識による探究とその結果を 利用と享受 (use and enjoyment) という言葉で呼ぶ。 常識は質的 (qualitative)である。 たとえば、食べられるものと毒があるもの、身分の上下などである。 常識は文化に依存する。たとえば、狩りはかつて仕事であったが、今や スポーツである。
科学は、これに対し、質的ではなく主として量的である。 常識と科学の違いは、かつては認識論や形而上学の問題とされたが、 私は、これは論理学の問題であると言う。常識と科学とは問題の 種類が違う。したがって、探究の強調点が違い、対象の論理形式が異なる。 問題は、実際的に利用し享受するためのテーマと、科学的な結論を出すための テーマの間の関係である。後に説明することの結論をここで挙げる。
状況 (situation) という言葉の説明から
始める。状況は、単一の対象や出来事ではなく、一連の対象や出来事でもない。
対象や出来事を切り離して経験したり判断したりすることはできない。
つながりのある全体が「状況」である。対象や出来事は常に状況の一部である。
対象や出来事は状況のなかで利用され、その状況にふさわしいだけ享受される。
状況はひとつの全体 (a whole)である。
状況と関連しない議論は無意味である。
状況は感じられるものである。といって、心的なものではない。心的なものは、
状況全体によって確認され記述されなければならない。
(吉田注)このあたり、
知識に関するシステム論的というか全体論的な色合いが見られる。
経験の領域は、論議の領域の前提条件である。経験がなければ、議論の結果の 重要性、適切性、首尾一貫性などがわからない。誰も、ひとつの状況の中に いないわけにはゆかない。状況の中にいないということは、経験をしないことに 等しい。ある特定の状況にあることを否定したところで、別の状況が とりまくことになるだけのことである。言い替えると、議論によって、 経験の領域が存在することを証明することはできない。しかし、状況の 存在が、論議をとりまきコントロールする状況であることを、 理解させる状況を経験させることはできる。
たとえば、美的な経験を考える。たとえば、ある絵がレンブラント風だと 言うとき、それは特定の線や色を指しているのではなく、絵のあらゆる 要素とその間の関係に影響を与えている何ものかである。それは、ことばで 表現することはできず、感じられるだけである。それは、経験の背後に 状況があり、経験をコントロールしているからだ。
ある観察をするとする。このとき事実だけを集めても何も出てこない。
逆に、固定した概念や理論の枠組みで物事を見ると、重要な事柄を
見逃してしまうかもしれない。こうした欠点から逃れるためには、
状況に敏感でなければならない。問題を感じなければならない。
(吉田注)このように、論理だけで
ない面があることが、プラグマティズムをすたれさせた原因では
ないかと思うが、同時にこういう部分も捨て難いような気がする。
脳の意識下のはたらきによって意味付けが可能かもしれない。
普通の科学哲学では、観察は理論に依存し、理論から逃れられない、
とする立場をとる。
科学の出発点は常識的世界である。たとえば、色や光は、常識の段階では 集団の行う仕事や美術や社会的な礼法のなかで、経験され判断される。 科学の段階になると、色や光は、それだけで切り離される。
常識と科学、実践と理論などの二元論的な分離は、歴史を古くさかのぼる。 アッシリア、バビロニア、エジプトの文化では、「低い」技術と「高い」技術の 2種類の知識が分離された。低い技術は、大工、染めもの、機織りなど 日常の実際的な仕事で、高い技術は特権階級や僧侶や医者などが 受け持つものである。高い技術は、神と関係するような者たち、高い社会的地位を もつ者のものであった。ギリシャにおいては、科学と哲学に高い価値がおかれ、、 実践の拘束を受けないゆえに「純粋」とされた。実際的なものは卑しいとされた。 これは、奴隷と有閑階級の間の社会的な区別が、哲学的定式化に置き換えられた ものである。以上のように、常識と科学の二元論的分離は、社会的、文化的な 起源をもっている。
後世になって、科学は経験と深く結び付くことで蘇った。理論と実践という 古い区別は取り壊された。その結果として、常識の内容と技術が革新された。
しかし、常識と科学の間にはまだ不統一があり、次のような二つの対立がある。
次章では、アリストテレスに由来する伝統的論理学を扱う。当時の学問状況は 今と違いすぎるので、現在では、元の知識の論理学という意味が消えてしまった ことを示す。そこで、科学の方法に基づく論理学が必要になることがわかる。