特集 教育大変

文藝春秋 2002 年 6 月号
名古屋東山の東山書店で購入
読了日:2002/06/12
以下の論説集。最初の4つは新指導要領による教育の低下を批判するもの。 「ゆとり教育」だとか「生きる力」だとかの薄っぺらな標語のために 教育水準が落ちていることを指摘している。最後の (YM) は地方の私大の現状。

(NK) は、大学生の学力が低下しており、新指導要領になるともっと 下がるだろうという話。その通りでしょうね。

(FM) は、やはり「ゆとり路線」に対する警鐘。以下、興味深い発言の引用。

私は、家庭教育と初等教育は子どもの個性を機を見て踏みにじるところから 始まると確信しています。画一的なものを強制的に教え込む教育で大いに結構。 九九の暗唱を、画一的にならずに教える方法なんてありますか。
私は小学校のカリキュラムは「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数。 それ以外の教科は十以下」と主張し続けていますが、(中略)
高校になれば、むしろ国語と数学は選択科目にしてもいいくらいです。(中略) そういう、各々の時期の子どもにとって何が重要か、何が教育の本質なのかという 認識に立ったうえで、メリハリをつけたカリキュラムを構築していくことが必要です。

(YE) は、とくに国語の教科書で、文科省は文学が分かっていないという話。

文学が健全なものだと思っているのがそもそもの大間違い。(中略)
文学って人にお仕着せされるものじゃなくて、いわゆる「合法ドラッグ」 なんだよ。
その通りでしょう。ただ、文学以外の国語についてあまり語られていないのが ちょっと物足りない。

(SN) は、教科書検定で、高校の「生物I」から「進化」や「光合成」が 消されたという話。進化を語らずに生物が語れると思うという神経は 確かに信じがたい。だれがそんなことを考えたのだろうか?文系の 無知蒙昧な輩に違いない。

(YM) は地方の私大である東亜大学がいろいろ頑張っているというお話。