- 2002/08/02
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- 2002/08/03
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山鳥重著「「わかる」とはどういうことか」のまとめ
第1章 「わかる」ための素材
- 絶えず心を満しているもの
- 思考とは、心像(=mental image)をいろいろ並べて、
関係を作り上げる働きである。心像とは、
心に思い浮かべることがらのことで、思考の単位となる。
- すべては知覚からはじまる
- 知覚の基本は、「違いがわかる」こと。すなわち、
「分かる」ことの基礎は「分ける」こと=区別である。
- 知覚を研ぎ澄ます
- 違いがわかる(知覚)ためには、注意が必要で、それは
好奇心(感情)によって駆り立てられる。
好きこそものの上手なれ。
- 区別して、同定する
- 区別することは、心像と照らし合わせて同定すること。
これによって、これは鉛筆だとか、紙だとか判定できる。
通常、これは無意識のうちに行われる。心像は、
経験を通じて形成される。たとえば、慣れてくると
足音で誰が歩いているかがわかるようになる。
- 心はからっぽにならない
- 心像には2種類ある。五感に入ってくる心像(知覚心像)と、
それを判断するために持っている心像(記憶心像)である。
知覚心像は、事実を五感に分解した後に、脳で再構成したもの。
知覚心像を記憶心像と照合することによって、同定が行われる。
脳の損傷で、知覚心像が記憶心像と切り放された人がいる。
その人は、モノを写生することができるが、それが何であるのか
わからない。
第2章 「わかる」ための手がかり―記号
- 記号の役割とはなにか
- 記憶心像は、名前を付けることによって安定化する。この名前が記号である。
- 言語の誕生
- 最も重要な記号は言語音だ。言語音に対する記憶心像は音韻と呼ばれる。
音韻によって、異なる人が発した物理的には異なる音波をたとえば「ア」の
音だと同定する。
- 心理現象を共有する
- 言語が記号化している現象は、客体(紙、鉛筆)、客観化できる動き
(走る、逃げる)だけでなく、心の状態(はい、いいや)までも含まれる。
- 記号の落とし穴
- 言葉(記号)は記憶心像としっかり結び付いてはじめて
しっかりした意味を持つ。外来語などは、ともすると記憶心像が
未熟で記号が上滑りする。たとえば、IT と言っても、情報の意味が
わかっていなければ訳がわからない。
- 「わかる」の第一歩
- わかったという経験の第一歩は、このような言語体験で、
音韻パターンと記憶心像がしっかり結び付いていること。
すなわち、言葉の正確な意味理解。
第3章 「わかる」ための土台―記憶
- 記憶のいろいろ
- 記憶の分類
- 種としての記憶(進化を通じて DNA に刻まれた記憶)
:たとえば、反射、情動反応
- 個体としての記憶(後天的に獲得される記憶)
- 意識に呼び出しにくい記憶(心像化しにくい記憶)
:手続き記憶と呼ばれる。それは手や体が覚えている記憶。
- 意識に呼び出しやすい記憶(心像化できる記憶)
:陳述性記憶と呼ばれる。すなわち、絵や言葉で表現できる記憶。
- 意識に呼び出しやすい記憶
- 出来事の記憶
- 出来事の記憶は、出来事、場所、時間、その時の感情、
その時の考えなどの複合体。自分については変化する思考の連続、
まわりについては変化する情景の連続。
- 意味の記憶
- 意味の記憶にはさらに3つの種類がある。
- ことがらの意味:記号とその概念や意味の記憶。
知識と呼ばれているもののすべて。繰り返される経験によって
作られる。たとえば、アカという概念は、赤い紙を見たり、
赤信号を見たりして、その共通部分が抽出されることで
形成される。
- 関係の意味:モノとモノとの関係を空間関係として
イメージすること。たとえば、テは身体から伸びる可動部分で、
それを関係としてイメージしているから、「鍋の手」という
ような使い方が意味をなす。数字も、他の数字との関係で
理解されている。脳損傷で数のイメージが浮かばなくなることが
ある。そういうときは、ナナという数字を聞いても、
1,2,3,4,5,6,7 と順番に指を折っていかないと数字の
イメージがわからなくなってしまう。
- 変化の概念:「隠れる」「隠す」「増える」「減る」など
動詞で表現するような概念。その前後の状態と組になって
イメージされる。
- 意識に上りにくい記憶
- 手順の記憶。たとえば、計算する、文章を読む。
- 記憶がなければ「わからない」
- 記憶の定着の仕方
- 出来事の記憶→類似部分の繰り返し→意味の記憶
- 出来事の記憶→同じ行為の繰り返し→手順の記憶
第4章 「わかる」にもいろいろある
- 「全体像」がわかる
- 大局観=全体像が見えている上で自分の位置を知る。たとえば、
時間のだいたいの見当をつける、自分の居場所のだいたいの見当をつける。
大脳が損傷すると、時間の見当がつけられなくなることがある。
また、大脳が損傷すると、自分の場所がわからなくなることがある。
そのときは、建物が見えていても方向を知る手がかりにならない。
- 整理すると「わかる」
- 分類して整理すると、心がすっきりしてわかった気になる。
- 筋が通ると「わかる」
- 何らかの説明がつくと、わかった気になる。
- 空間関係が「わかる」
- ふだんは無意識に空間関係の把握が行われている。
脳損傷でこれが出来なくなった人を見ると、それがわかる。
そういう人は、たとえば、空間図形を描けなくなったり、
折り紙ができなくなったりする。
- 仕組みが「わかる」
- たとえば、地動説がわかる、エルニーニョ現象がわかる。
そういった世の中の「からくり」を理解すること。
- 規則に合えば「わかる」
- たとえば、負の数や√2のような数は規則に基づいて理解する。
これは単なる約束ごとなので、ピンと来なくて数学が嫌いになる人が出る。
第5章 どんなときに「わかった」と思うのか
- 直感的に「わかる」
- わかる過程は往々にして意識的に追いかけられないので「直感的に
わかった」などという。心の中で意識して考えているのは、
心の一番上層のごく薄い部分だ。
- まとまることで「わかる」
- たとえば文がわかるということは、さまざまの単語がつながったものが
自分の心像としてひとつのイメージにまとまること。すなわち、文を
用いた伝達とは、書き手が自分の心像を文に解きほぐし、読み手が
それをまた読み手自身の心像に再構成すること。
- ルールを発見することで「わかる」
- 思考の目的は、ルールを発見すること。ニュートンは万有引力の法則という
ルールを発見したし、パスツールは細菌は細菌からしか生まれないという
ルールを発見した。それによって深い理解が可能になった。
- 置き換えることで「わかる」
- 身近な感覚に近いものに置き換えることでわかる。たとえば、たとえ話。
第6章 「わかる」ためにはなにが必要か
- 「わかりたい」と思うのはなぜか
- 生物の特性はエントロピーを減少させ秩序を作ること。
だから、心の中にも秩序を作りたい、すなわち分かりたい、
と思う傾向が根本的にあるにあるに違いない。
- 記憶と知識の網の目を作る
- 知識はネットワークを作っている。ネットワークができているときに
はじめて知識が安定化する。ネットワークを作るには長い時間が必要で
さまざまのことを記憶しなければならない。
- 「わからない」ことに気づく
- 自分で分からないことに気付いて、自分で分かるようにすることが重要。
分からないことに気付くためには、知識のネットワークが必要で、
その網がなければ、疑問もひっかからない。
- すべて一緒に意識に上げる―作業記憶
- たとえば、自動販売機でジュースを買うということは、
コインからジュースまでを結ぶ複数の心像を同時に思い浮かべる
ということだ。人間には難なく出来ることだが、猿には難しい。
このように複数の心像を同時に把握することを作業記憶とよぶ。
複雑になってくると、われわれは図や文などのメモを使う。
- 「わかったこと」は行為に移せる
- わかるとは運動化できること(言葉にしたり、絵にしたりする
ことを含む)。もともと進化をたどってみると、心理表象は、
知覚→運動の中間に入って、知覚→心理表象→運動となったものだ。
だから、運動として表しうることは、わかることにとって本質的。
- 「わかったこと」は応用できる
- よくわかっていることは応用できる。大脳損傷の例で、
「眼鏡を外してください」はわかっても「眼鏡はどれですか」
はわからないというものがある。つまり、眼鏡の意味の応用が
できなくなっている。
第7章 より大きく深く「わかる」ために
- 小さな意味と大きな意味
- 分かり方にはいろいろな水準がある。そのひとつは、大きな
全体の脈絡と、小さな個々の脈絡だ。この両方がわからないと
良い理解とは言えない。
- 浅い理解と深い理解
- 理解の深さにはいろいろある。当然、深く理解することが望ましい。
- 重ね合わせ的理解と発見的理解
- 重ね合わせ的理解とは、自分の持っているモデルにあてはめることに
よってわかること。発見的理解とは、答えが自分の外にあるもの。
科学的研究がその代表。自分で仮説を考えて、実践しながら理解を深める。
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