方舟さくら丸

安部公房著
新潮文庫 あ 4 22
刊行:1990/10/25
文庫の元になったもの:1984/11 新潮社刊
たぶんどこかに廃棄してあったものを拾った(よく覚えていない)
読了日:2003/02/16

言わずと知れた安部公房の代表作のひとつ。主人公の「もぐら」は、 近未来に核戦争が起こることを夢想し、人から忘れ去られた廃坑を シェルターとして利用することにして着々と改装を進めている。 ところが、その中に一癖ある人々を3人引き入れてしまったことで 事態は変わる。さらに主人公がうっかり便器に片足を嵌め込んでしまった ところから事態は急転回し、最後には主人公は外の世界へ脱出する。

題名の「方舟」はもちろんその核シェルターのことだ。「さくら」は その一癖ある人々のうちの二人が露店で「サクラ」をやっていたことに 基づいている。「さくら」に日本的な感傷があるわけではない。

この作品には独特のイメージや比喩や小道具が散りばめられている。 そのいくつかを以下で引用しておく。

主人公「もぐら」は屈折した心情の持ち主である。それがどこか共感を覚える。 たとえば、最初の部分で主人公はユープケッチャという昆虫を 売っているのに出会い、買ってしまう。その昆虫とは:

ユープケッチャは棲息地のエピチャム語で昆虫の名前であると同時に 時計のことも意味しているのだそうだ。体長一センチ五ミリ、鞘翅目に属し、 ずんぐりした黒い体に茶褐色の縦縞が走っている。ほかに特徴らしいものはと 言えば、肢が一本もないことくらいだろうか。肢が退化してしまったのは、 自分の糞を餌にしているので、移動の必要がないためらしい。消化吸収して しまった残りかすの排泄物が主食では、燃えかすの灰にもう一度火をつける ような心もとなさを感じるが、そこは上手くしたもので食べる速度がひどく遅い。 その間に繁殖したバクテリアが養分の再生産をしてくれる。 ユープケッチャは船底型にふくらんだ腹を支点に、長くて丈夫な触角をつかって 体を左に回転させながら食べ、食べながら脱糞しつづける。糞はつねに きれいな半円をえがいている。
見事に屈折した姿である。僕もそんなものがあったら欲しくなるかもしれない。

それから主人公は太っている。それで次のような夢も見る。

オリンピック阻止同盟のメンバーは、胸に豚バッジをつけている。
(中略)
国家ほどの巨大組織が、たかだか発達した筋肉くらいに、あれほど肩入れすると いうのは不自然すぎる。何かしら魂胆があるに違いない。それに強健な 肉体のために国旗が掲げられ、国家が演奏されるというのは、あきらかに 一部国民に対する差別行為だ。
この屈折にもどこかしら共感を覚える。

屈折は、時として警句と言えるものも生む。今のアメリカやらイラクやら 北朝鮮やらの情勢に照らしても興味深い次の言葉は、途中からなだれ込んできた 「ほうき隊」の副官が言ったものだ。

国の価値は、大小や貧富などで決まるものではありません。 国際法に基いて、外国からの承認を手にすることが問題なんです。 いったん承認されてしまえば、掌(てのひら)ほどもない国でも 国家主権を認められる。分りますか。この世に国家主権を越える 権力はないんですよ。何をしたって…殺したって、盗みをはたらいたって、 取り込み詐欺でさんざん腹を肥したって、絶対に逮捕も監禁もされません。 非難されることはあっても、罰せられることはないのです。今世紀は まさに国家主権の世紀からですね。

最後の場面のイメージはシュールレアリスティックだ。 屈折したイメージが散りばめられた事件の重なりの後で、廃坑から脱出した 主人公が見たものは:

日差しだけではなく、人間までが透けて見える。透けた人間の向こうは、 やはり透明な街だ。ぼくもあんなふうに透明なのだろうか。顔のまえに 手をひろげてみた。手を透して街が見えた。振り返って見ても、やはり 街は透き通っていた。街ぜんたいが生き生きと死んでいた。誰が 生きのびられるのか、誰が生きのびるのか、ぼくはもう考えるのを 止めることにした。