スティル・ライフ

池澤夏樹著
中央公論社
刊行:1988/02/29
札幌薄野の古本屋石川書店で購入
読了日:2003/09/15

次の二つの中編小説が収録されている。

(S) は、芥川賞受賞作。主人公と、ちょっと浮世離れした友人である 佐々井との交流を描く。佐々井は不思議な人物だ。株を取引するのが 上手いという世俗的な一面を持つ一方、ほとんど何も持ち物を持たず、 チェレンコフ光の話をしてみたり、風景のスライドを見て没入したりする。

「ただの山の写真だ。特別に高い山ではないし、特別に名の知れた 山ではない。だから見方にちょっとこつがある」と佐々井は小さな声で言った。 「なるべくものを考えない。意味を追ってはいけない。山の形には何の 意味もない。意味のない単なる形だから、ぼくはこういう写真を見るんだ。 意味ではなく、形だけ」
こういうフワフワした感じがこの小説の芯。

(Y) は、父と娘の父子家庭とあるロシア人との交流。これにどういうわけか 挿話として恐龍のディプロドクスを娘らしき人が餌付けをするという話が 所々に出てくる。題名の Ya Chaika(わたしはカモメ)は、宇宙飛行士の テレシコワのことばの引用で、チェーホフの「かもめ」の引用ではない。

米ソ軍事バランスとスパイ活動に関するロシア人の警句めいたことば:

均衡を実現するには三つの方法がある。(中略)しかし、この二つの方法 の他に鏡の方法とでも呼ぶべき第三の道がある。つまり自国の軍備を 相手の鏡像のようにぴったりと合わせる。(中略)質の平均化に必要なのは 情報だけです。(中略)だからこそ、情報機関にかかわる人間は、 自分の国への忠誠よりもむしろ他国の情報機関との連帯感の方を重視するような、 徹底した職業意識を持つべきだと思うのです。
とはいえ、著者はこの考えを深めるわけでもなく、これは小説全体に とっては小道具の一つ。最後はなぜか幻想的童話ふうに恐龍で終わる。
わたしを載せたディプロドクスは、ゆっくりと歩みつづけ、やがてすっかり 霧の中に消えました。わたしは見えないディッピーと自分にもう一度だけ 手を振り、それからくるりと後ろを向いて、先ほどのヤナギの林の方に 向かって歩きだしました。

私は、最近イルクーツクに行ったので、イルクーツクという言葉や クワス (kvas 甘酸っぱい醗酵飲料)という言葉がでてきたのが、 少しうれしかった。