疑似科学と科学の哲学
伊勢田哲治著
名古屋大学出版会
刊行:2003/01/10
名大生協で購入
読了日:2003/02/11
疑似科学を肴にした科学哲学の平易な入門書である。全体的には
非常に読みやすいので1週間程度で読めてしまった(実は昨日、コーヒーの
ために寝付きが悪かったので、後半は昨晩一気に読んでしまった)。
全体のテーマは
科学と科学でないものとの境目は何か?
である。構成は
- 第1章:
創造科学を肴に、帰納主義と反証主義という科学の方法論を解説している。
- 第2章:
占星術を肴に、科学の方法と発展の仕方を議論する。ここで紹介されるのは、
クーンのパラダイム論、ラカトシュのリサーチプログラム論、ラウダンの
リサーチトラディション論。
- 第3章:
超能力を肴に、ちょっと形而上学的な実在論と反実在論の話をする。
実在論としては、通常の実在論と介入実在論、
反実在論としては、操作主義、道具主義、ファン・フラーセンの構成的
経験主義が紹介される。また実在論や反実在論を回避するファインの
自然な存在論的態度も紹介される。
- 第4章:
代替医療を肴に、科学社会学や相対主義、それに科学の社会への影響が
議論される。
- 第5章:
信頼性の程度を確率論的に導入するベイズ主義によって、
科学哲学上のいろいろな問題が整理できることが示される。
- 終章:
まとめ。科学とそうでないものの間の線は明確に引けるものではなく、
ベイズ主義的に程度問題ということで解決できるという主張。
となっている。
以上、最後の結論までだいたいうなずけた。もちろん具体的に仮説の
事前確率や予測確率などをどう求めるかという問題があるものの、
科学かどうかの線引きは程度問題という結論は受け容れやすいものがある。
というのも、われわれ地球科学者に身近な問題としては、
いわゆる宏観地震予知の問題があって、それを見ているからである。
宏観前兆現象をどの程度まともに取り上げるかということに対しては、
専門の科学者でも、人によって見解がかなり異なっていて、まったく
受け付けない人からかなり真面目に研究対象にできると考える人まで
いろいろいる。私は、宏観前兆現象の種類によって一概には言えないと
思っていて、科学の対象になるかどうかの線引きはかなり難しいと思っている。
もっとも、「行為が科学か?」という問いと「ある現象が科学の対象となるか?」
という問いは違うものなので、この本の主題とはちょっとずれる意味があるが、
それでも第3章で取り上げている超能力の問題に近い。
いずれにしても、こういう判断は時代によっても変わるので、
ある程度の曖昧さを残すのは良いことだろう。
ここで取り上げられている疑似科学に関しては、あまりものを考えない直感で行くと
(この本を読む前からだいたい思っていることだと)、
- 創造科学:有害だからやめた方が良い
- 占星術:歴史の遺物だと思った方が良い
- 超能力:9割9分インチキだと思うが、ある部分は事実かもしれず、
科学で再解釈可能だと思う(そうなると超能力でなくなるけど)
- 代替医療:それが依拠している理論はあまり意味がないかもしれないけれど、
鍼などは実際問題として有益かもしれず、科学で再解釈可能かもしれないので、
ある程度残しておくことが有用だと思う
で、この本の結論もだいたいこれと同じである。それで、何となく安心した。
後日、著者による正誤表を見つけた。