異議あり!生命・環境倫理学

岡本裕一朗著
ナカニシヤ出版
刊行:2002/12/30
K 先生より借りた
読了日:2003/02/28

著者は、現在の生命倫理学・環境倫理学はおかしいと考えている。 なぜなら、具体的なのっぴきならない場面では、 ほとんど使い物にならないからである。本書は、そういう立場からの 生命倫理学・環境倫理学入門と言えるものである。

ノートを取りながら読んだ。 サマリーを書いてある。

全体的には、わかりやすい言葉で書かれていて読みやすい。 著者の立場も常識的で、私もだいたいほとんど納得できる。 常識的とは言っても、クローン人間反対論を論駁しているところなどは、 マスコミ的には常識的ではない。しかし、私はもともとクローン人間に 反対する理由はそんなに無いと漠然とは思っていたので、 それが論理的に述べられている本書の記述に納得した。

本書を読んでいて気付いたことは、生命倫理学と環境倫理学には 共通する部分もあるものの、基本的な性格がかなり違うということである。 生命倫理学に対しては、著者のスタンスが比較的はっきり述べられているのに対し、 環境倫理学に関しては、著者は環境倫理学のいろいろな胡散臭さを指摘する 以上のところにはなかなか踏み込めていない。 私が思うのに、環境問題に倫理学はなじまない。 それは、環境問題はもともと善悪の問題ではなく、人類の存続のために どのように社会を変えていくのが得かという、いわば社会工学的な 問題だからだと思う。いろいろ複雑に絡み合ったシステムを改良する アイディアを出すのに、安楽椅子の上で善悪を議論しても始まらない。 一方で、生命論理学の方では、けっこう心情の問題が重要なので、 安楽椅子の上で善悪を議論することにある程度の意味があるのだろう。

私が思うに、倫理学とは、われわれが本能的に持っている心と、 社会の中で後天的に育まれた心情と、功利主義的に考えて社会全体を うまく動かす手立ての3つの間に折り合いを付ける手段を作る、 あるいはその折り合いの分析をすることである。 環境問題は、第3番目の功利主義的な社会改良という意味合いが強く、 心の問題があまりないので、倫理学の出番があまり無いのだとおもう。 もっとも、自然保護をどの程度心の問題であるととらえるかで、 いくぶん倫理学の問題が出てくるのは確かだが。

以下、各章毎に見てゆこう

第 I 部 生命倫理学はいらない!
第 1 章 中絶はいかにして可能か?
ここでは、中絶擁護論と反対論をいろいろ検討し、そのどれもが 不十分であることを見る。著者にも対案は無い。著者によると 中絶を擁護するには、次の3段論法を打破しないといけない。
  1. 罪のない人間を殺すことは不正である(大前提)
  2. 胎児は罪のない人間である(小前提)
  3. ゆえに、胎児を殺すことは不正である(結論)
問題は、結局、この大前提を一つの例外もなく認めるのは極めて困難である ということに帰着するようだ。ところで、 これを見て思い出したことは、ブッシュ米大統領は中絶に反対らしいが、 イラクの人を殺すのには賛成らしい。これはどういう論理によるのだろうか?
第 2 章 臓器移植を効率的に
ここでは、2つのことが議論される。まず、 臓器移植で一人の命と引き替えに二人以上の命を救うことは正当か? これは著者も結論を出していない。次に、臓器移植の売買を擁護する議論を 著者は展開する。
第 3 章 「自己決定」批判に反対!
ここでは、安楽死、インフォームド・コンセント、遺伝子改造や クローン人間の議論がなされる。著者は、自己決定の原則を 基本的に守るべきだと主張し、安楽死やクローン人間に対し、比較的 肯定的な議論をしている。
第 II 部 環境倫理学の袋小路
第 4 章 人間中心主義で悪いか?
環境倫理学では、しばしば人間中心主義が批判される。しかし、 著者によると、動物を人間と同様に守るのは不可能だし、生態系を 守るというのもどんな生態系を守るのかはっきりしない。 私も、環境問題は人間のためのものでしかありえないと思っている。
第 5 章 予言された「人類滅亡」!?
環境負荷の元凶とされる「豊かな社会」と「人口爆発」は 表裏一体の問題であり、解決は困難である。著者はそれを指摘するに とどまっている。私が思うに、それ以上踏み込むことは、 倫理学にはできないだろう。
第 6 章 環境保護にはウラがある
環境保護運動は政治問題である。しばしば、発展途上国の経済発展を 邪魔する意図が見られる。社会問題は、一般に善意と悪意がいろいろ 複雑に絡み合うので、それを冷静に分析しなければならない。 私が思うに、これも倫理学の手には負えないだろう。

後日(2003/09/20)、哲学の専門家であるを見つけた。この本の議論はひどく粗っぽいということのようだ。