利休・織部と茶のしつらえ

小学館ウイークリーブック週刊日本の美をめぐる18、小学館
刊行:2002/09/03
名古屋栄のマナハウスで購入
読了日:2003/08/16
最近(今頃になって?)、東海三県(愛知・岐阜・三重)が日本の窯業の 中心であることを認識し、やきものを見るようになった。 殊にこの地方のやきもので、この本の主題のひとつである桃山時代の茶陶と 関係が深いのは、美濃(織部・志野など)と伊賀である。

この本では、利休・織部・遠州といった茶の湯のリーダーたちの 遺した美的感覚をたどっている。これを見ると、 これらの人々の美的感覚が個性的で前衛的だったことが改めて分かる。 「わびさび」という言葉から連想されるような地味なものではない。

利休は、朝鮮の日常陶器など、実に「普通の」器の中に美を見出した。 また、簡素で小さな茶室を作った。 ボスであった秀吉の金ぴか好きと全く正反対で、よくこれで、 秀吉に重用されたものだと不思議である。結局秀吉に嫌われるのも 当然のような感じがする。

中にあった森村泰昌のエッセイより

利休は、本来、ウンチクなどという小手先勝負の人ではない。 わかりやすいアイディアを、おおづかみにバーンと形にした人だった。
(中略)
利休はミニマルアートの先駆者でもあったのだが、「こんなに小さくても いいんです」という思いきった提案を、これみよがしに太閤さんに ガーンとぶつけたわけである。

利休はもともと金持ちだったので、金と趣味は関係ないんだよと、 もともと貧乏人の秀吉にわざわざ当てつけたのかもしれない。

高麗茶碗に美を見出すなど、今で言えば、そのへんで 100 円で 売っている陶器に美を見出すようなものであろうか?しかし、 現代では、安い器は大量生産で品質がそろっているために、 微妙な塗り残しや窯変などのひとつひとつの個性はなくなっていて、 そういう意味では、なかなか面白さを発見するのはたいへんである。 利休は、ひびの入った花入れを使って、「水の漏れるところが命」と 言ったそうだが、これまたなかなかシュールな発想である。

織部は、そういったひび割れをはじめとして、破格の美を追求している。 利休とはまただいぶん趣味が違う。いわゆる織部と総称されている 陶器は、斬新で大胆なフォルムと、織部釉と呼ばれる緑釉など用いた 冒険的な色彩感覚を特徴とする。また、織部は、肌の粗いゆがみや割れのある 伊賀の陶器も好んだ。このように前衛的な感覚が織部の命である。

織部の弟子の遠州になってくると、趣味はもっと上品で優雅になってくる。

利休は、「数寄(茶の湯)は、人と違ったことをするのが肝要」と 語ったそうである。利休・織部の趣味にはその自由さがある。 茶道は、本来はそれほど自由なものであった。