折しもこの本が刊行された3月20日(現地時間19日)、 ブッシュは強引にも戦争を始めてしまった。3月1日執筆のまえがきでは、
読者のみなさんがこの本を手に取るとき、イラクがどうなっているか、 今の私には予見できない。だったが、ブッシュは後戻りをしなかった。それまでの経過で、 ブッシュは国際的には明らかに評判を落とし、サダム・フセインは 評判を上げた。実際、フセインがアメリカが喧伝するほど 無茶苦茶な指導者でないことは、この本にも書かれている。曰く
イラクは1932年に独立してから1968年にフセインが副大統領になるまで、 ずっと不安定な国だった。(中略)つまりイラクでは、サダム・フセイン 以外の人が安定した国家運営をしたことがない。
今回、ブッシュが評判を落としたのはなぜだろう。 今や良く知られていることだが、アメリカは情報操作をうまくやっている。
9・11事件以後、アメリカでは政府が「テロの恐怖」を利用して イラクなどよりはるかに巧妙に、国家のプロパガンダを国民に信じ込ませている。 それに比べると、イラクのプロパガンダ政策は、あまり洗練されていないので、 外国からの見学客の眉をしかめさせてしまうだけのことだった。これでわかるように、少なくとも国内向けの宣伝に関しては、アメリカは うまくやっているし、イラクは下手である。ところが、国際的には 今までのところ、アメリカの宣伝はまずかったし、イラクの方がよほどうまかった。 これに対して、本書ではちょっと穿った見方が示されている。
パウエルやイギリスは、わざとアメリカに対する信頼を損ない、 世界の反戦運動を煽って、政権内のタカ派主導で進められてきた 開戦準備の動きを止め、戦争回避の方向に持っていこうとしているのではないか、 という仮説が私の中に生まれた。しかし、実際問題として戦争が起きてしまったところを見ると、これは 穿ちすぎだろう。パウエルは、単に戦争を覚悟したにすぎないのではなかろうか。
ブッシュが強硬な姿勢を貫く理由としては、本書ではネオコンの策動が 重要視されている。単なる石油利権ならば、フセイン政権を温存しておく方が 得策かもしれないからである。
一方で、日本政府はアメリカの脅しにたやすく屈してアメリカを支持してしまった。
…アメリカは北朝鮮という「独裁国家」をうまく煽り、東アジアにおける国際的な 緊張関係を維持し、中国を牽制し、日本や韓国がアメリカに頼らざるを得ない事態を 続けるために使っている。この見方が正しければ、アメリカは、北朝鮮を適度に挑発して日本を怖がらせ、 アメリカ支持にまわらせたのだということになる。それに対抗するには
まず中国や韓国などと過去のわだかまりを乗り越える良い関係を作る必要がある。小泉首相が靖国神社に参拝しているうちは無理だろうが。
アメリカの宣伝は、他にも世界を惑わすものである。
イラクに限らず、アフガニスタンのタリバンもそうだったが、最近のアメリカが 宿敵として引っぱり出すのは、実は大したことのない勢力であり、アメリカ政府は 「闇夜の枯れすすき」をわざと幽霊だと言っていると思われるが、そのことは この嫌がらせ電話にも象徴されている気がした。
さて、イラクレポートの話。この本のイラクレポートから受けるイラクの 人々の印象は、いろいろな発展途上国で受ける印象と共通する。 すなわち、人々は貧しいけれども、たくましく生きている。 発展途上国にありがちな賄賂があったり無茶苦茶な面もあるけれど、 でも力強く生きているという喧騒の街という感じが良く出ている ただし、イラクの場合は石油があるので、もともとそんなに貧しい国ではない。 湾岸戦争後の経済制裁のおかげで困窮しただけだ。しかし、そのために
若い店長は「経済制裁は私たちを苦しめているが、その一方で制裁は、 私たちの対処能力や実用的な技術力を向上させている。私たちを 潰したいアメリカの制裁が、実は私たちを鍛えて強くしてくれているんですよ」 と言った。という状況になっているそうだ。それ以前は基本的に社会主義だったので
四十歳以上の人々は、(中略)仕事や給料は政府からもらうものであり、 政府の目の届かないところで勝手に仕事をするのは良くないと思っている。にもかかわらず。
イラクやアラブの歴史にもわれわれは注意を払っておかないといけない。
…アラブ地域の国家の枠組みも、「東西ドイツ」や「南北朝鮮」と同様 「分断国家」にすぎない、ということになる。アラブ諸国は、東西ドイツや 南北朝鮮より一世代前の「分断国家」なので、分断が長期にわたり固定された結果、 分断されている状態をめぐる矛盾が感知されにくくなっている、ともいえる。そういえば、アラブも昔から欧米帝国主義の独善の被害者だったということを 今さら気付かされた。
また、宗教についても、シーア派がどういうものかもいまさらながら初めて知った。
シーア派の中心は、古代以来の信仰を持っていたメソポタミア文明や ペルシャ帝国の人々で、彼らがイスラム教に集団改宗する過程で、 昔からの宗教の教義や哲学をイスラム教の枠内で再解釈しなければならなくなり、 もともとのアラビア半島のイスラム教(スンニ派)とは違う分派となった。