論文の教室―レポートから卒論まで

戸田山和久著
NHKブックス 954、日本放送出版協会
刊行:2002/11/30
名大生協で購入
読了日:2003/01/20

戸田山節でかるーく読めてしまう論文の書き方本。軽く読めるが、 内容は豊富。主として文系学生用である。けれども、もちろん私にも 役立ちそうである。とりわけ学生の幼稚なレポートのどこが稚拙 であるかを的確に指摘するために。名大には、1年生用に 「基礎セミナー」という科目があり、私は昨年あまりうまく いかなかったのだが、今から考えてみると、ここに書かれているような ことをやるべきだったかもしれない。

理系と文系では違うところもある。理系の論文やレポート書きは、 ある程度すでに何かデータや計算結果などが出てから、それを 文章に構築するということで論文書きが始まる。一方で、ここで 教えられているのは、論文を書きつつ研究が進むという感じで 研究と論文書きが同時進行して行く。違いは程度問題ではあるけれど。

本書と、理系の人間に良く読まれている木下是雄著「理科系の 作文技術」(本書の中でも紹介されているし、私もよく学生に 薦めている)との大きな違いは、複雑に入り組んだ問題を 論理的に分析するテクニックが紹介されている点にある。

理系の場合、本当に意味のある問題を選ぶことは、学生には出来ない 場合が多い。まだ解決されていない問題で、解決可能な問題で、 かつある程度重要な問題を絞り込む作業は、かなりの程度の予備知識を 必要とする。そこで、卒論レベルでは、教官が課題を提示することになる。 そういう問題を絞り込むテクニックは、大学院の間に体験的に 学習することになっているから、あまり「○○の仕方」本という 形にはなっていない。

そう言う意味での、本書の特徴の1つとしては、論理形式が きちんと分類され整理されていることである(さすがに 「論理学」を教えている先生である)。仮説演繹法や アブダクションのような弱い論理形式が書かれていることが 重要だ。そういうものは厳密な形式論理学の対象ではないが、 実際上は重要で、そこまで入れてないと実用的な論理学とは言い難い。

その他にも面白い点がいくつもある。 ひとつは、論理が素直で格好を付けていないことだ。 たとえば:

問題意識をもつにはどうしたら良いかを考えるより、問題意識を 捏造する方法を考えよう
どだいレポートの課題になる問題は、ふだんから問題意識を持ち続けて いる問題とは一致しないのが普通だ。しかし、問題意識がなければ、 そもそも内容のあるレポートなど書けない(これは当たり前)。 そこで、事典や講義ノートなどから始まって問題意識を醸成する方法が 語られる。ときどき、「近頃の日本人はものを良く考えない」という批判を する大人がいるが、これにはちょっと無理がある場合が多い。問題が ありすぎるこの世で、そんなにいろいろ何でも考えてはいられない。 むしろ、さまざまな問題についてペラペラコメントをするいわゆる コメンテーターと呼ばれる人たちは考えが浅いことが多い。

それから、「論」ではない文の文体分析も興味深い。 たとえば:

―「天声人語」って朝日新聞のアレですか。
―そう。朝日のコラムね。あれは「論」じゃないの。(中略)このコラムの 売りは、飛躍と連想なの。どこまで飛べるか、というか、とっぴなもの同士を いかにうまく結び付けるかというのを楽しむんだよね。
世の中の初等中等教育の先生の中には、「天声人語」を崇め奉る人が けっこういるけど、あれはファッションであって、「天声人語」は 真似をして役に立つ文章とは言えないということを的確に指摘している。

また、たとえば司馬遼太郎節の真似:

そうであった。

「パラグラフ」

である。「パラグラフ」は、我が国で言う「段落」とはまったく 異なるものであるらしい。

どこが異なるか(いきなりの講釈で、読者には気の毒だが)。 (以下略)