善光寺      善男善女が弥陀と結縁する信濃の大寺

小学館ウイークリーブック 週刊古寺をゆく41、小学館
刊行:2001/12/04
長野駅前の平安堂で購入
読了日:2003/08/17

善光寺

朝日ビジュアルシリーズ 週刊日本遺産24、朝日新聞社
刊行: 2003/04/13
長野駅前の平安堂で購入
読了日: 2003/08/17
先日、善光寺参りをしてきたときの記念として買った本。

善光寺は、もちろん名前は知っていたけれど、いわれも何も知らず とりあえず行ってみた。「牛に引かれて善光寺参り」というところか。

行ってみて思うのは、長い善光寺参りの歴史の産物だけあって、 たくさんの人が参詣するに耐えるだけの見所満載でうまくできている ということである。本堂は大きくて、たくさんの人が一度にお参りしても 十分に収容できるし、無宗派で昔から女性も welcome だし、 宝物は主たる資料館だけでなく、大勧進や大本願にも結構あるし、 門前の仲見世や表参道ではショッピングやお茶を楽しめる。 そして何より、お戒壇巡りという真っ暗闇の中で秘仏と結縁(けちえん)する というお楽しみがある。

これらの本も、最近はやりのビジュアル週刊本らしく、きれいな カラー写真をふんだんに使い、寺の縁起や美術を解説するとともに、 旅行ガイドとして使えるようにもなっている。旅情も誘って こういう造りの本が流行るのもよくわかる。

この寺の本尊の秘仏は、遠く天竺から朝鮮を経てやってきた日本最古の仏像と いうのが、一応の「公式見解」。もうちょっと理屈っぽい話は、朝日の方に 載っている。小学館の方は写真中心で、朝日の方が字が多い。 これが小学館と朝日の違いか?さて、その朝日の方には、なぜ、このように 一地方寺院が全国から参拝客を集めるようになったかという歴史の片鱗が 書いてある。もともとはおそらく平安時代の郡寺(郡の役所付属の寺) であった。ふつう、郡寺は平安中期までに廃絶するのだが、善光寺は どういうわけか生き延びる。その後、平安末期に天台宗の末寺となり、 それが浄土思想と結び付いたことが、その後の発展の基礎となる。 鎌倉時代に善光寺信仰が広がり、武士がパトロンになる。 江戸時代には、芭蕉の影響もあり、庶民の寺社詣でブームもあって、 善光寺詣でがさかんになった。明治になって鉄道ができて全国から人を 集めるようになった。

昔から、特定の宗派が無いこと(いちおう天台宗と浄土宗で共同管理しているが)や、 女性を受け入れてきたことも庶民の寺たるポイントである。

月影や四門四宗も只一つ     芭蕉