フルハウス―生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説

Stephen Jay Gould著、渡辺政隆訳
原題:Full House -- The Spread of Excellence from Plato to Darwin
ハヤカワ文庫NF 286、早川書房
刊行:2003/11/30
文庫の元になったもの:1998/07 早川書房刊
原著刊行:1996, Harmony Books
名大生協で購入
読了日:2004/01/02
一言で言えば、ある集団を見るとき分布の端の方だけ見ていては 本質を見誤りますよ、というのがテーマの本。 その帰結として、 が導かれる。このようなテーマは過去のグールドのエッセイでも扱われていた と思うが、それがまとめて1冊の分厚い本になったもの。これだけの長さの ものを一気に読ませる筆力は相変わらずさすがである。 扱っている内容は「目から鱗」モノである。

もうちょっと丁寧にサマリーを書いておこう。

四割打者の絶滅について

大リーグには昔は四割打者が結構いたが、今はほとんどいない。それは なぜか?というのが問題である。グールドは、この問題は問題の立て方が おかしいと説く。最高打率の打者だけを見ず、打者全体の打率分布を見給え、 というわけである。すると、打率の平均値はほとんど変わっていないのに対し、 変異の幅が減少していることに気付く(最高打率は下がり、最低打率は上がった)。 平均値は、ルール改訂などで操作されいているのであまり意味がない。 変異の幅が減っていることこそ本質なのである。

グールドの解釈は以下の通り。大リーグ全体のレベルが 上がってきて、守備は上手いが打撃が下手というような選手が いなくなり、全体が粒揃いになった。打率の平均という数字は、 ルール改訂で操作されるし、投手と打者との相対的な関係なので、 あまり意味がない。しかし、選手全体のレベルが上がり粒揃いになれば、 変異の幅は減る。それは人間の能力に上限があるためであり、 選手全体のレベルが上限に近づいてきたということを意味する。 打率の平均は一定に保たれるようにルールが操作されるので、 最高打率は必然的に減少する。

進化はランダムな過程である

進化を進歩と同一視し、人間がその頂点にあるように考えるのは 悪しき人間中心主義に過ぎない。進化は方向性のないランダムウォークである、 という主張が明瞭になされる。

生物は単細胞から始まり、多細胞になり、無脊椎動物ができて、 脊椎動物ができて、恐竜になって、人間になる、などといった 進化の物語は、生物全体の分布の右端しか見ていない (たとえば横軸に細胞数とか体の大きさとか複雑さなどを取ることにして)。 生物全体を見れば、数の上では(そしてたぶん量の上でも) 単細胞生物が圧倒的多数なのである。したがって、地球は、 今も昔もバクテリアの時代にある。

進化には、複雑化、高度化、大型化などといったトレンドがあると 言われたことがあるが、生物の系統をきちんと見れば、そのような トレンドが存在しないことが分かる。系統が良くわかっている生物集団を 調べると、複雑化と単純化、大型化と小型化とはたいてい両方存在し、 トレンドは無い。これは進化がランダムウォークのような過程であると考えると 自然に説明できる。バクテリアから人間へというトレンドは、単に分布の 右端を見ているに過ぎない。しかも、分布の右端は系統を表しているのでもない。 現代の覇者である人間は中生代の覇者である恐竜の 子孫でもなければ、新生代のある時期の覇者である剣歯虎の子孫でもない。 分布の右端がどの系統の生物であるかは偶然によるものである。 トレンドが見える気がするのは、生命の最初が単細胞生物であることと、 単細胞より簡単なものがないということによる。初期値が一番左で、 左に壁のあるランダムウォークを考えよう。確かに、分布の右端は どんどん右に行くが、分布の最頻値(モード)はいつでも左端の近くである。