ナショナルジオグラフィックが見た 日本の100年

日経ナショナル ジオグラフィック社
刊行:2003/12/26
名大生協にて購入
読了日:2004/02/06

日本のこの100年を美しい写真とともに見せてくれる、 ナショナルジオグラフィックのアーカイブス。 写真を見るだけでも面白いし、文章も当時日本がアメリカ人から どう見られていたかを見せてくれて面白い。

大きく言えば、戦前、戦中、戦後にわかれる。

戦前のものは、昭和初期に到るまで、だいたい一貫して好意的な 眼差しで書かれている。日本の独特の文化の上に、西欧の文化を 取り入れていくありさまが、物珍しさを伴って描かれている。 今の日本から見ると、戦前の日本は外国みたいなものなので、 これらの記事はある種のノスタルジーとエキゾチズムを持って 読むことができる。

関東大震災の記事では、当時プレートテクトニクス論はもちろん 存在しないので、「関東大震災では火山帯の中で行き場を失った マグマが地殻を猛烈なエネルギーで突き上げて隆起を招いたのでは ないだろうか」などと書いてあるのが面白い。

戦中になると、これが一転して、非常に冷たく日本人像を描く。 たとえば、ウィラード・プライスの昭和17年の記事 「集団行動、人命軽視…知られざる日本人の素顔」では、 日本人の強みとして (1) 人命軽視と (2) 良心の欠如を挙げている。 (1) は、集団に対して個人の命が軽視されることや、 労働条件の劣悪さを指している。(2) は、日本が諸外国の権利を 侵していること、たとえば商標偽造や著作権侵害を指している。 今になってみると (2) はちょっと分析の仕方がずれているような 気がするけれど。単に知的所有権に対する意識がなかったというだけだと思う。

そしてまた、駐日大使だったジョセフ・C・グルーの 「日米開戦時の米国大使 日本人の精神性を語る」では、 「日本には一般的に、政府に逆らってまで自分の権利を守る教育や伝統がない」 とか「その文化は深遠で、美しいものだが、そこに根差す精神性には 残忍で盲従的な面もある」などと指摘されている。でも、この記事には 最後に、日本人が周囲に引きずられやすい例として変わったエピソードを 挙げてある。日本の憲兵隊が、米国大使館の前で民衆にデモをやらせたとき、

このデモの真っ最中に、米国大使官員の一人が、 暴徒たちを見下ろすバルコニーに立ち、 ポケットからハンカチを取り出して、彼らに向かって陽気に振った。 日本人は彼の予期せぬ行動に驚いた。彼らは口を開け、少しの間叫ぶのをやめた。 大使館員が、そのまま楽しげにハンカチを振り続けると、その後、驚いたことに、 デモの一行は声を上げて笑い、ハンカチを取り出し、 友好的な雰囲気でそれを振り返したのだった。
どういう状況だったのか今一つ想像が難しいが、複雑な気持ちになる。

戦後は、劇的に変化する日本の風景を追っていっている。

昭和21年
すでに日本では民主主義が美化されている。「民主主義は目的に 近づくための手段ではなく、それ自体が目的とされたのだ。」
昭和22年
「小さな町に配置された駐留軍兵士は、子供たちとすぐに仲良くなった。 (中略)子供の母親たちはこうした米兵との交流を喜んでいるが、 父親など男たちはその光景を冷たく見ているだけだった。」
昭和25年
マッカーサー、マムシの粉、米国人にとって安全な国、農地改革、御木本真珠
昭和35年
高度成長、60年安保、ソニー
昭和39年
通勤ラッシュ、ネオン、新幹線、オリンピック
昭和45年
大阪万博、松下電器、造船業
昭和61年
経済の覇者としての日本、受験戦争、東京の過密、高齢化
平成2年
日本における「女の役目」、社会に進出する日本女性
平成3年
経済大国となった日本、新人類の生き方