村上「文明のなかの科学」ノート

2003/11/07
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2004/02/25
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村上陽一郎 (1994) 「文明のなかの科学」(青土社)

1 「科学」の誕生

science は、ラテン語の scientia が語源であって、元の意味は「知識」である。 19世紀にもまだその意味が残っていた。

13世紀に大学が誕生して以来、19世紀までは、大学は哲学部、神学部、 医学部、法学部より成っていた。大学は、基本的には哲学をベースとして、 キリスト教の世界観の元で、聖職者、医師、法曹家を養成するものだった。 聖職者、医師、法曹家は、「世の中で苦しんでいる人を救うために 神に呼ばれた(召命された)人々」という位置づけだった。 科学者はこれとは全く異なり、近代社会の産物である。

2 「技術」の誕生

今や科学と技術とは不可分のものになってきているが、19世紀までは 全く別のものであった。技術はもともと徒弟制度(ギルド)の中で親方から代々 受け継がれるものであった。

ところが、19世紀の技術革新はとてもギルドでは対応しきれないものであった。 一方で、市民革命が起こったために、いままで貴族がやっていたような民事・ 軍事の技術を民衆がやらなければならなくなった。その結果、市民に対する 知識と技術の教育が国家のために必要になってきた。こういった事態に対する 対応は19世紀においては以下のように国によって異なる。

とはいえ、19世紀末から20世紀初頭にかけて、現在の国際的大企業の 基礎を築いたダイムラー、ベンツ、シーメンス兄弟、デュポン、イーストマン、 カーネギー、エディソン、フォードのような人々は、上記のような教育機関や 大学の出身者ではない。かれらは個人の努力と才能により、巨万の富を築いた。

3 日本と科学技術

明治政府は教育に非常に力を入れた。 1877 年(明治 10 年)にできた東京大学は、神学部を持たず、 理学部を持ち、国家が設立・運営するという意味で、世界史的に見ても 先駆的でユニークである。 1871 年には工部大学校ができた。お雇い外国人のダイアーが20歳代後半の 若さで、それを非常に能率の良い技術訓練学校に仕上げた。 1886 年(明治 19 年)に東京大学は東京帝国大学となり、工部大学校は そこに吸収された。その結果として、東京帝国大学は世界初の工学部を持つ 大学となった。以後、日本の大学では、理と工を比べると工の比率が 諸外国に比べて高く、しかも工学部に優秀な学生が集まるという特色がある。

欧米では工学技術系の地位が低い。それに対し、日本は初めから世俗的で、 知識は実利のためのものと考えられ、実学が重要視された。

4 文明の矛盾

文明 (civilization) と文化 (culture) の違いを考えよう。 civilization の語源は「市民」や「都市」に関係があり、 culture の語源は「農耕」である。「文明」は、「人為」と「自然」との 対立を強調し、人為による自然の支配、管理、制御を目指すものである。

文明には2つの攻撃的な性格がある。一つは、自然に対する攻撃性であり、 もう一つは、他の文化に対する攻撃性である。文明とは、普遍化を意志し、 その意志を実行に移す装置を備えた文化である。その支配欲は、 他の文化や自然に対して発揮される。その意味で、現代西欧文化は 文明だが、現代日本文化は文明ではない。

5 近代文明とキリスト教1

リン・ホワイト・ジュニアの論文「現代の生態学的危機の歴史的源泉」 の論旨を紹介する。その主張は、「現代の生態学的な危機をもたらした 近代科学技術文明の元凶は、キリスト教にある」とするものである。 聖書の創世記においては、人間は神を象って造られ、人間以外のものは 人間のために造られ人間が支配する、ということになっている。 他の宗教ではよくあるアニミズムが圧殺されていることが特徴である。 西欧近代文明による自然の搾取の根源はこの思想にあるとする。

もっとも、科学技術の本格的な発達は19世紀になってからのことなので、 中世をどう考えるかという問題がある。

6 近代文明とキリスト教2

現代のキリスト教においては、自然に対する人間の責任を問うことが しばしば行われるようになってきた。それは現代の「環境倫理」の 大きな柱である。以下のようなものが代表的な考え方である。
W.C. ラウダーミルク(アメリカの土地保全学者)
1939 年に「第十一戒」を発表。内容は、人間は、大地を steward(僕) として神から相続したのだから、世代を継いで資源や自然を守らないと いけないとするものである。環境倫理の先駆と見られる。
L. ウィルキンソン
すべての被造物は、人間の「家族」であって、その「家族」の 維持管理は、人間が神から託された使命である。
J.B. コッブ(プロセス神学の影響を受けたアメリカの神学者)
人間だけが、神の愛を相続し、自然界でそれを実践できる。 人間は、神を愛し他の被造物を愛することができる。それが 人間の宇宙における責務である。
P. サントマイア師
すべての存在の権利を認める。すると、社会正義から言って、 すべての存在が平等に権利を保護されるためには、すべての存在の権利が 無制限に保護され発揮されてはならなくなる。人間の権利は、 他の自然物の権利を大きく侵害してまで要求することはできない。
J. モルトマン(ドイツの神学者)
人間は、自然と神の間の調停者である。

最後に、著者は、ホワイトの議論を批判する。「文明」が出現したのは、 18世紀啓蒙主義でキリスト教から解放された19世紀になってからである。 文明主義的人間中心主義は、人間中心主義がキリスト教から解放された 結果として生まれたのである。だから、キリスト教と科学技術を直接 結び付けるホワイトの議論は乱暴だ。

7 科学革命論

ここでの科学革命 (Scientific Revolution) は、アレクサンドル・コイレや ハーバート・バターフィールドのそれであって、クーンの科学革命 (scientific revolutions) ではない。ここの科学革命論は以下のような 主張から成り立っている。

著者村上は、これに対して以下のように疑問を呈する。

8 ホイッグ史観の超克は何をもたらすか

文化人類学は、西欧近代を歴史の頂点とするような考え方の誤謬を示してくれた。 行為の理解は、それを包含する文化全体の理解を通してしかありえない。 クーンのパラダイム論も同様の立場に基づく。たとえば、コペルニクスの地動説は、 天体のアニミズムなどを抜きにしては理解できないものであり、現代の地動説とは異なる。

しかし、そう考えてみるとひとつの困難に突き当たる。もし、コペルニクスの地動説と 現代の地動説が異なるとするなら、その「異なる」という判断を下すための世界観は どこにあるのか?2つのパラダイムよりも上位のメタ・パラダイムが必要なのではないか?

9 弁証法へのアンビヴァレンツ

2つの文化の間の翻訳はそもそも可能なのだろうか?たとえば、太宰の小説の中の 「白足袋」ということばが white gloves と訳されたことがある。翻訳としては これは立派で、white socks と言ってしまっては、アメリカ人に与える印象が全く おかしくなるからである。しかし、これは異文化理解といえるだろうか?そもそも 異文化理解は可能なのだろうか?

従来の哲学では、人間に普遍的な「地平」を設定するのが常であったが、 そんな特権的な理解などありえない。著者の解決は以下の通り。人間に「真の姿」などない。 人間はいつも「仮面」を演じているだけである。2つの仮面を演じることは可能で、 それが2つの文化を理解するということである。このことは弁証法のようにどこかの高みに 行き着くための動きではなく、単に動いているということである。

(吉田注)このことは常識的な解決といえる。2つの言語を完璧に話すのは困難だけど、 そこそこのバイリンガルの人はいるものである。それはすべての言語を公平に高みから 見ているわけでもないけれど、2つの言語の比較はできるのである。

10 寛容の徳

前章の最後で述べたことは、「寛容」とも言える。そのつながりでいえば、 17世紀末から18世紀初頭の西欧において、自由思想家たちによって 宗教的な意味での「寛容」が主張され始めた。

一つの観点は、神への信仰の根拠を、自然の中の合理性にのみ見出す、という考え方である。 歴史的順番から言えば、まず、中世のスコラ学においては、アリストテレス的自然観と キリスト教が結び付けられた。そこでは、静的な秩序が重要視された。ルネサンス以降、 15−17世紀くらいには、プラトン的に自然の意味を解読しようとする考え方が出てきたが、 それは同時に神秘主義的で魔術的なものでもあった。17世紀末の自由思想家の考えは、 合理主義的で、神学の位置を下げると同時に神秘主義からも離れ、神学を剥ぎ取ったスコラ学 のようなものになった。

もう一つの観点は、キリスト教を知らない人たちでも道徳的でありうる、ということに 西欧人が(たとえば日本人を見ることによって)気付き、文化的多元主義を容認するようになった ことである。そのころの思想家は無神論者にまでは必ずしも寛容でなかったものの、 道徳をキリスト教神学の傘下から独立させたことは重要である。

11 多元主義と寛容

18世紀の聖俗革命においては、従来の神に理性が取って代わったということで、 絶対的なものの存在を認めるという意味では同じことである。ヒュームの懐疑主義においても、 倫理が文化に相対的であることを言ってはいるのだが、善悪のカテゴリーの存在自体の普遍性は 疑っていない。

相対主義あるいは多元主義は、超越的な善悪の存在を否定する。2つの社会で、それぞれ善悪の 区別を言っていても、それらはそれぞれの基準に照らしての善悪を言っているだけで、それらが統一 できるわけではない。ひとつの行為の持つ意味は、その背景となる社会や文化やその行為が行われた 状況によって異なり、それらの意味は共約不可能である。たとえば、自殺を倫理的にしか捉えない 文化もあるだろうが、美的に捉える文化もあるだろう(日本における切腹のように)。

著者の言う「寛容」は、人間が、複数の共約不可能な価値体系の間を行ったり来たりする能力を 持っていることを認めることである。そこにおいて、複数の体系は統合されるのではなく、一人の人間が 複数のペルソナの間を行き来するのである。多元主義者は、絶対主義もひとつの立場として容認するが、 絶対主義者は多元主義を容認しない。その意味で、多元主義者は寛容である。

12 一つの応用としての寛容

西欧近代文明は、普遍を目指すものだが、本当に普遍化してしまうと資源やエネルギーが持たない ことが明らかになった。これはひとつのパラドクスである。そういう環境問題がなくても、普遍化を めざす文化たる文明は、以下の二つの意味で自殺的である。(1) 他の文化を押し潰そうとするがゆえに、 他の文化の独自性を覚醒させ、普遍化への抵抗を生む。(2) 文明によって均質化が進むと、それは 特色のない退屈なものになり、支配力を失う。

文明が取り得る道は、文明を相対主義や多元主義で補うことである。西欧近代文明を全面的に否定することは 不可能である。一方で、文明は他の個々の文化を覚醒させ多元主義を必然的に生む。この文明の普遍主義と 文化の多元主義の葛藤を受容するのが、相対主義である。両者は対抗すると同時に、西欧近代文明の側は、 本当に普遍化すると環境が壊滅することを知っているし、個々の文化の側は西欧近代文明の所産なしでは やってゆけない。著者の解決は、どうせ最良の解などないのだから「より摩擦の少ない解」を求めて じたばたしましょう、というものだ。

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