回転木馬のデッド・ヒート

村上春樹著
講談社文庫 む 6 7、講談社
刊行:1988/10/15
文庫の元になったもの:1985/10 講談社刊
廃棄してあったものを拾った
読了:2004/01/17
「はじめに」によると、これは著者が聞いたいろいろな話を集めたものだそうだ。 小説というにしては現実に即しているが、短編集のようなものだ。 それぞれの話は、ちょっと不思議な出来事とか、「こんなところで こんなふうに感じるというのはちょっとどういうことかな」という心の機微の 意外な面を示すエピソードなどである。微妙な不条理とも言える。そういう意味で 著者が訳した Carver の小説に 雰囲気が似ている。テーマは、ちょっとした奇妙な何かである。

以下、それぞれのサマリーやら引用やら。

レーダーホーゼン
夫からドイツ土産に半ズボン(レーダーホーゼン)を頼まれて、それを仕立ててもらっているうちに 離婚を決意した妻の話。妻は夫と似た体型の人を仕立て屋に連れて行って、レーダーホーゼンを 仕立ててもらった。その人が楽しそうにしていると
母はその人の姿を見ているうちに自分の中でこれまで漠然としていたひとつの思いが 少しずつ明確になり固まっていくのを感じることができたの。そして母は自分がどれほど 激しく夫を憎んでいるかということをはじめて知ったのよ。
タクシーに乗った男
女画商は、若いとき、たいしたことはない絵の中のタクシーに乗った一人の男にシンパシーを感じた。
私には彼の哀しみがわかりました。彼は凡庸という名のタクシーの中に閉じ込められていました。 彼はそこから抜け出すことができませんでした。永遠にです。
彼女は、後にアテネでその絵の中の男に会った。
プールサイド
かつて水泳選手だった男は 35 歳になって、人生の折り返し点を曲がろうと決めた。 生活は順調だし、健康な体を維持している。しかし、あるとき
ビリー・ジョエルは今度はヴェトナム戦争についての唄を歌っている。 妻はまだアイロンをかけつづけている。何ひとつとして申しぶんはない。 しかし気がついた時、彼は泣いていた。(中略)どうして自分が泣いているのか、 彼には理解できなかった。
今は亡き王女のための
著者は、大事に育て上げられたがためにスポイルされた美しい少女に、 若い頃会ったことがある。あるときたまたま仲間と雑魚寝をしていて、 その少女と抱き合うような態勢になったことがある。それはそれだけだが、 後にその女性の夫となった人と会い、電話番号も教えられた。しかし、
僕はまだ彼女に電話をかけてはいない。彼女の息づかいと肌のぬくもりと やわらかな乳房の感触はまだ僕の中に残っていて、そのことで僕はまだ 十四年前のあの夜と同じように、どうしようもなく混乱していた。
嘔吐1979
友人のイラストレーターは、1979 年 6 月 4 日から 7 月 15 日まで、 どこが悪いわけでもないのに、一日一度吐き続けた。一方、それとほぼ 同じ時期に、一日一度ただ彼の名前を呼ぶだけの電話がかかり続けた。
雨やどり
編集者だった女性が、総務課に回されたのを機に会社を辞めた。 次の仕事を始めるまでの間、金をもらって数人の男と寝た。
いちばん高いので8万円、いちばん安くて4万円かな。相手の顔を見て 直感的に数字が出てくるんです。金額を言って断られたことは一度も ありませんでしたよ。
野球場
青年は、大学の時同じクラブの女子学生に恋をした。彼女の部屋が 望遠レンズで見える部屋に住むことにした。しかし、実際に見てみると、 かえって息苦しいものだった。でも覗かないでいることができなくなり、 学校へも行かなくなった。彼女が夏休みに実家に帰って、ようやく 泥沼から解放された。
ハンティング・ナイフ
あるリゾート地に長逗留しているとき、車椅子の若者とその母親の 二人連れが同じコテージに泊っていた。そこを離れる日の夜、若者と 話をした。若者は言った。
ときどき僕は夢を見ます。(中略)ちょうど僕の頭の内側から、 記憶のやわらかな肉にむけて、ナイフがななめに突きささっている夢です。 べつに痛くはありません。ただ突きささっているだけなんです。 それからいろんなものがだんだん消え失せていって、あとにはナイフだけが 白骨のように残るんです。そういう夢です。