苦悶するアフリカ

篠田豊著
岩波新書 黄 294、岩波書店
刊行:1985/03/20
名古屋黒川の古本屋 BOOK OFF で購入
読了:2004/01/20
アフリカがうまくいかない状況をつぶさに見てきた新聞記者の本。 新聞記者と言っても、タンザニアに留学した経験がある人なので、 決して薄っぺらな報告ではなく、きちんとその背景も書いてある。 この本が書かれて 20 年経ったが、その後 も混迷は終わらない。

以下、この本の章立てに沿って、内容のサマリー

  1. 飢えの構図(1) -- その背景
    アフリカの飢餓が最近日本でよく報道されている。飢餓がひどいのは 確かだが、公式の数字には疑問があるし、原因が干魃とするのも単純すぎる。
  2. 飢えの構図(2) -- 背景をさぐる
    飢餓の原因は干魃とされるが、実はその間にもサヘル諸国から農産物が 大量に輸出されていた。問題は、巨大な農業ビジネスがあって、 換金商品作物ばかりが作られる点にある。利益は多国籍企業と各国支配層の 手に落ち、人々は飢餓に苦しむ。食糧援助も、ただやればよいわけではなくて、 農業政策が援助に頼って歪むなどの弊害がある。
  3. 揺れるアパルトヘイト
    南アフリカやナミビアの悪名高いアパルトヘイトにも緩和の兆しがある。
  4. 独立後の壁 -- ジンバブウェの表情
    ジンバブウェは 1980 年以来、黒人のムガベ氏が首相を務めている。 独立闘争をしていた頃は欧米からは過激派のレッテルが貼られていたが、 実際は民族融和をはかる穏健なプラグマティストである。 しかし、人種問題はまだ残っている。たとえば、カラード(混血)は、 白人政権下では、白人と黒人の間の身分にあったが、黒人政権下では 黒人から冷たい視線を浴びる。
  5. 独裁と軍事クーデター
    中央アフリカでは、ボカサが 1966 年にクーデターで支配者になり、 76 年に皇帝として独裁を始めたが、79 年にクーデターで国外亡命した。 ウガンダでは、1971-1979 年にアミンが独裁を行った。このように アフリカでは、支配層の腐敗→軍事クーデター→支配層の腐敗→軍事クーデター、 の悪循環がいたるところで起こっている。
  6. 西側の道をゆく国々
    ケニアは、アフリカの中でも成功していると言われるが、実際は 政府には汚職が横行し、ナイロビのそばには巨大なスラムができている。
    ザイールでも、汚職と腐敗が上から下まで浸透している。貧富の格差が ひどく、そのために 1978 年に第2次シャバ州紛争が起こった。豊富な 鉱物資源の富は、支配者と先進国企業の手に落ちる。
    コートジボワールも独立直後には「象牙海岸の奇跡」ともてはやされたが、 今は経済が悪化し、貧富の差が広がっている。
  7. 試練つづく社会主義化
    社会主義諸国もうまく行っていない。アンゴラは、物不足と治安悪化が 進んでいる。モザンビークでは闇取引が横行している。エチオピアも 自由市場を取り入れざるを得ない。タンザニアやモザンビークでは 私営農場を認められるようになった。またこれらの国々は西側に 接近するようになってきている。
  8. 国境を越える抵抗者たち
    外国で活動を続ける反政府活動家の群像。
  9. 援助・資源・国際政治
    アフリカへの各国の援助の背景には、アフリカの豊富な資源の獲得、 東西冷戦と大国の勢力争いがある。
  10. 対立と協調の陰に
    アフリカの諸国間にも対立が多い。西サハラには、鉱物資源があり、 モロッコと SADR「サハラ・アラブ民主共和国」が争っている。 リビアは、旧フランス領への拡張を目指しているが、鉱物資源の問題があって フランスなどが阻止を図っている。南アフリカは、敵対している周辺諸国に 軍事工作を行っているし、ナミビアを不当に占領している。
  11. 遠くて近いアフリカ
    日本人のアフリカに対する理解は浅い。政府の援助は増えたものの 偏っている。最大の貿易相手国はアパルトヘイトの南アフリカである。

ところで、最近、対テロを叫ぶ政治家が多いのだが、テロという言葉が いい加減であることを示すエピソードを一つ引用しておこう。反アパルトヘイト 運動をしたために、南アフリカ史上初の白人獄死者となった Neil Aggett について

1981 年 11 月、ニールはテロリズム法第6項により危険分子として当局に 逮捕され「裁判なき無期限の拘束」を独房で強いられた。テロリズム法によると、 当局はテロリストないしテロリストに関する情報を持っていると疑える人物に対して、 令状なしで無期限に身柄を独房に拘束できる。(中略) ニールは逮捕後 70 日目の 2 月 5 日、「獄中で自殺」とする当局の 発表があってその「存在」が判明した。

アフリカ各国のその後

アフリカ各国のその後で知っていることについてメモしておく。
ケニア
モイ大統領の長期政権が 2002 年に終わり、キバキ大統領に変わった。 政治家や役所の腐敗をなくすことを期待されており、実際 世界銀行総裁の Wolfensohn 氏もその取り組みを評価している
ジンバブエ
1980 年の総選挙以来、黒人のムガベ政権が長期に続いている。白人との 宥和策を取っていたので、この本では比較的希望的に描かれている。 しかし、2000 年以来、白人所有の大農場を強制収容したために、 人種間対立が起こるとともに、外資が撤退し、経済が混乱している。 インフレもすごい(年率 数100 % とか)。
南アフリカ
この本の時点では、アパルトヘイトがまだ生きていたが、 94 年のマンデラ大統領の誕生で終焉を告げた。
ナミビア
南アによる占領状態からその後独立。1990 年、ナミビア共和国が成立。
シエラレオネ
この本の段階では、スチーブンス大統領の長期独裁による腐敗が 問題になっている。その後、ダイヤモンド利権などをめぐって、 91 年から悲惨な内戦が 10 年余り続いた。そのため、シエラレオネは 世界で最も平均寿命が短い国になった。内戦が終わり、今ようやく 新聞などでその後の報道がなされつつある。