天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から
T.Fujitani 著、米山リサ訳
NHK ブックス 719、日本放送出版協会
刊行:1994/11/30
廃棄してあったものを拾った
読了日:2005/01/03
第1章から第4章までは、
Splendid Monarchy: Power and Pageantry in Moder Japan
[Twentieth Century Japan: The Emergence of a World Power, 6]
(University of California Press) [1996/10/01]
の抄訳。
近代的な天皇制が明治時代にどのような目的でどのような形に作られたかを
分析してある本。私たちが、日本の「伝統」だと思っている天皇の儀式のかなりの
部分が明治時代に創作されたものであることがわかって蒙を啓かれる。
明治の天皇制は、日本を他の列強に並ぶ近代国家にするための道具として
作られたものなのである、というのが本書の主題である。もともと江戸時代には、
一般民衆は天皇のことをあまり知らなかったのだ。明治政府は、天皇を
祭り上げることで、もともとばらばらだった日本に統一的な意識を与えるとともに、
西欧列強に馬鹿にされないような習慣や考え方を民衆に植え付けていったのである。
明治の政治家たちは、天皇をはっきり意図的に利用していた。
伊藤博文に至っては有栖川宮にむかって
「皇太子に生まれたのが実にまったくの不運なのだ。礼儀作法でくるまれる
世界に生まれ落ち、少し大きくなると先生やら顧問やらの笛に合わせて
躍らなくてはいけない。」と言ったのだそうだ (p.106)。
この本を読んで「へえ〜」と思ったことを2つ書いておく。
- 神前結婚式は明治以降に定着した新しい「伝統」である (p.118-121)。
明治以前には、一般民衆にとっても皇室にとっても結婚とは
それほど神聖なものではなかった。昔の日本人は結婚に対して柔軟で、
1881-97 年の統計によると、3組に1組くらいは離婚をしていたようである。
皇太子(のちの大正天皇)の結婚の時に初めて皇室では結婚式を行った。
それを神道式にしたのは、西洋では教会で結婚式が行われることの
真似である。一夫一婦制を神聖化することで、婚姻を西欧的見方で
「進歩した」形にしたのである。
- 天皇の葬儀が神道式になったのは明治以降である (p.129)。
7世紀以降、天皇の葬儀は主として仏教式であった。
明治時代になって、皇室の古さと伝統を強調するために、
神道式の葬儀が「創造」されたのである。天皇の葬儀は、
一見古典的に見えるが、実はきわめて近代的なのである。
第1章から第4章が明治期の話であるのに対し、第5章では、テレビというメディアが
現代の天皇制にどのような役割を果たしているかが描かれている。
昭和天皇の「大喪の礼」はテレビ向きに演出された。マスメディアは、
戦後日本の発展と皇室儀礼の伝統という2つのテーマに集中し、
戦前戦中の日本の暗い歴史や皇室のありかたの歴史的変遷を消し去ってしまっていた。
一方で、テレビは皇室を凡庸化させている。皇室は見せ物になり、人々の注意を
マイノリティなどといった重要な社会問題から逸らせるのに役立っている。
このように、この本は日本の伝統やメディアの在り方についていろいろ
批判的に考えさせてくれる本である。