ある種似たようなものをさがすと、週刊「日本の○○」といった 写真をふんだんに使ったシリーズが最近よくある。それにはたいてい 旅をした取材記とか有名人のエッセイとかが最近は定番になっている。 これもまた旅情を誘うものである。そういうのに比べると、 美しいカラー写真が無いのがマイナスだが、著者の個性が強く 思い入れたっぷりに書いているのがプラスである。 思い入れといっても宗教心ではなく、完全に造形として見ているのが 私のように信心深くない者には良い。下手に仏教に思い入れが深い人が 書くと説教じみてきて押し付けがましくなりかえって飽きるのである。
感想がストレートで個性的で仏教に遠慮していないのが良い。 最初の興福寺のところ。みうら氏のイラストの中の文:
ボクの考える仏像たちはミュージシャンである。彼らは極楽浄土からやって来て お堂でコンサートを開いている。彼らはみなスーパースターで老若男女の心を つかんで離さない。いとう氏の文:
金剛やら四天王みたいに体格のいい人は、その足の下でおどけるしか手のない 文科系のコンプレックスなど、想像もつかないに決まっている。私は 一世一代の邪鬼の見せ場に、ほとんどジーンときながら立ち尽くしていた。 いいぞ、邪鬼!こんな調子だから、写真もないのに読めちゃうのである。 これを読まずに仏像を見ても、ふーんと思うだけだけど、これを読んでから 仏像を見ると、いろいろ妄想をふくらませることができそうだ。
本来の仏教は偶像崇拝はしないもののはずなので、所詮仏像と仏教とは別、 と思えば、如意輪観音はセクシー(毛越寺)などと書けるのである。 もっとも著者は仏像を突き放して見ているわけでもない。やっぱり 宗教心を持って作られたものには力があるのであり、その力の受け止め方が 個性的だ、ということなのだと思う。