週刊朝日百科 日本の美術館を楽しむ 3,4,5,11,24,26 巻

朝日新聞社
刊行:2004/10-2005/09
名大生協、東山書店(名古屋市東山)などで購入
読了:2005/09/24 (5 巻は 2006/12/01)
日本の美術館ガイド。高度成長期からバブルな時代にかけて、日本は多くの世界の 美術品を集めてきたので、日本中を見て歩くと結構な量の良質の美術品を 見て歩くことが出来る。日本の悪い癖で、だいたい各県に県立の美術館が あるから、それだけでもけっこうなコレクションである。 全巻買う気にはならなかったので、地元東海地方の3冊と東京の2冊を買った。 [その後、2006 年に京都のを1冊買った]
ブリジストン美術館・ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション・三井記念美術館 (No.3)
近代絵画の名品が揃っているブリジストン美術館の紹介が中心。 印象派の絵のある美術館は日本でも数多いが、その中でも最も充実したコレクション。 ここで初めに紹介されているピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」は 確かに名品だし、競売で買った当時はその値段でも有名になったことを私もおおろげに覚えている。
これを読んだすぐ後に実際にブリジストン美術館に行った。ちょうど、ザオ・ウーキー(趙無極)の 特別展の最中で、常設展のほうはかなり縮小され、日本の近代絵画の展示は無かった。 常設展は、18 世紀後半から 19 世紀後半の西欧美術の流れが凝縮されて展示されていた。 上記ピカソのものをはじめ、選りすぐりのものだから、それだけでも充実していた。 ルオーの寄託作品に良い物があった(「赤鼻のクラウン」「裁判所のキリスト」)。
特別展のザオ・ウーキーのものは、1点この本でも紹介されている。それは、もともとは大きな絵で、 小さな写真で見るのとはかなり印象が違った。ザオ・ウーキーは抽象絵画の現代の巨匠で、 大きな絵が多い。大きさはけっこう重要で、独特の幻影的な抽象世界は、その大きさを 全身で受け止める感じにならないと雰囲気が出ない。小さく目だけで受け止める絵ではない。
[2009/05/26 追記] 先日、三井記念美術館の「三井家伝来 茶の湯の名品」展に行ってみた。 この巻で紹介されている茶道具の「志野茶碗 銘卯花墻(うのはながき)」 「伊賀耳付花入 銘業平」「唐物肩衝茶入 北野肩衝」が全部展示されており、 たしかに素晴らしいものであった。この巻が出版されたときには、美術館が出来て いなかったのだが、堂々たる洋館の三井本館の7階に2005年10月オープンした。 入口は新しい三井タワーの側にある。 [追記ここまで]
愛知県美術館・名古屋市美術館 (No.4)
どっちも地元名古屋の美術館なので時々行くから、見覚えのある絵が たくさん紹介されている。とくに1枚ということで紹介されているのは、 グスタフ・クリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」。日本にある クリムトの中では最も良いものだからだろう。クリムトの作品としては かなり異色のものだ。
でも、私が気に入っているのは、むしろ名古屋市美術館のメキシコ・コレクションや欧米の現代アート、 日本の現代アートなんかの方だ。欧米の現代アートで紹介されているフランク・ステラの「説教」とか アンゼルム・キーファーの「シベリアの王女」などは現代的なイメージが横溢していてすばらしい作品だと思う。 日本の現代アートでは、荒川修作、河原温、桑山忠明といった愛知県出身で現代を代表する作家たちの作品が 目玉だと思う(河原温はこの本では紹介されていない)。
最後に紹介されている政治家亀井静香の趣味の絵も面白い。 本人が気に入っているとして紹介されている「赤富士」は確かに良く描けている。
京都国立博物館・何必館京都現代美術館 (No.5)
[2006/12/01 追加] 京都国立博物館に行った記念に博物館で買った。 京都国立博物館は、国宝や重要文化財を数多く所蔵していて、 この巻で紹介されているのもそのような歴史的名品ばかりである。ところが、 それらがいつも展示されているわけではなく、今回行って見たもので、 ここに紹介されているものは、唐三彩馬俑、流水文銅鐸、三彩釉骨蔵器の 3点のみだった。展示スペースが十分ではないということだろうか。 今回見たものでは、私の好みから言えば、鎌倉〜南北朝時代の仏像、 狩野派の障屏画、江戸時代の漆工芸なんかが良かった。 常設展用の建物は、高度成長期のもので、今となってはちょっと貧弱な感じに なってしまっている。
東京国立博物館・弥生美術館・竹久夢二美術館 (No.11)
メインは言わずと知れた東京国立博物館。数多くの古典の名品があるということがわかる。
弥生美術館と竹久夢二美術館は通っていた大学の近くにあったのだが、結局行ったことがない。
三重県立美術館・徳川美術館・メナード美術館・愛知県陶磁美術館 (No.24)
比較的近くの4つの美術館なので、どれも行った。とくに徳川美術館は 名古屋見物に来る人を連れてゆく定番スポットの一つということもあり、複数回行った。あとは1回ずつ。 三重県立美術館とメナード美術館はこれを読んだ後で行った。
徳川美術館は、大名文化を伝える美術館として日本を代表する美術館である。さすが御三家の一つという 豪奢なコレクションが並ぶ。
三重県立美術館は建物が大きくてスペースの多いゆったりした展示がしてある。 私が行ったときは安井曾太郎の特別展をやっていた。 しかも、たまたま第三日曜日は無料ということで、それを知らずに行ったので かなり得をした気分になった。無料の割には空いていたし、 無料だと出口から入り直したり出来るので、ゆったり見ることができた。 常設展示はけっこう入れ替えているようで、この本で「この一点」として 紹介されている佐伯祐三は展示されていなかった。 ちょっと期待していた曾我蕭白も展示なし。その中で気に入ったのは、 この本には紹介されていないが、 石井茂雄の「暴力シリーズ―戒厳状態II」であった。緊張感のある画面だ。 しかし、コレクション全体としては今ひとつポリシーが不明。
[2006 July 後日譚] 先月、和田義彦盗作事件が発覚したのに関連して、 昨年 (2005 年) 和田義彦展をやったということで、三重県立美術館も 槍玉に上がった。地元出身だったから展覧会を実施したのだろうが、 いまひとつまとまりのないコレクションポリシーも盗作に気付かなかったことと 関連しているのかとふと思った。[後日譚ここまで]
[2007/01/08 追記] 美術館コレクションのなかで、日本画コレクションを 集めた展覧会をやっていたので見に行った。曾我蕭白が素晴らしかった。 印刷ではとてもわからないけれど、墨の濃淡のコントラストが大胆で強烈だ。 襖絵や屏風絵で大きいものなので、これまた印刷では分からない迫力がある。 石や木の大胆な筆捌きの一方で、鳥を細密に描いてみたりと、自在極まり無い。 その他、江戸の絵では、月僊(げっせん)の描く人物が個性的なこと、 池大雅の独特のおおらかな筆致、岩佐又兵衛の俗悪だが鮮やかで細密な描写が 印象的だった。ふだんからこういった名品を展示していると、遠くから 来る人もいるだろうにと思った。といっても、今日は展覧会最後の日だったのに そんなに人がいなかったところをみると、蕭白では人は呼べないか? 今回出品されたの作品のデジタル画像が ここ にある。
なお、今日は常設展に「この一点」の佐伯祐三「サンタンヌ教会」があった。 そのほかにもこの本で紹介されている絵がけっこうあった。 [2007/01/08 追記ここまで]
メナード美術館は比較的小さな美術館で、私が行ったときは東山魁夷の特別展のため、 常設展示がマリノ・マリーニの「馬と騎手(街の守護神)」だけになっていた。
陶磁資料館はここでは2ページしか紹介されていないが、陶磁器の歴史が一望できる巨大な施設である。 美術的な傑作がそろっているわけではないのでここでは扱いが小さいのだろうが、立派で充実している。 ここで紹介されている陶磁狛犬コレクションはおもしろい。小さな西館がこのコレクション専用の展示館である。
滋賀県立近代美術館・岐阜県美術館・MIHO MUSEUM (No.26)
滋賀の美術館に行ったことがないが、岐阜はそう遠くないので、岐阜県美術館にはこれを読んだ後に行った。
岐阜県美術館は、大きくて立派な美術館である。日本の作品では岐阜ゆかりの芸術家のものを集め、 西洋のものはオディロン・ルドンを中心に集めるということで、ポリシーがはっきりしている。 岐阜ゆかりの画家には前田青邨や熊谷守一といったビッグネームがいて、この本に載っている前田青邨 「祝日」、熊谷守一「ヤキバノカエリ」も見てきた。それと、美濃焼の本場ということで、陶器も集めている ようである。私が行ったとき (Sep 2005) は、荒川豊蔵などが特別展に展示されていた。 ルドンは幻想的で私も好きな画家だ。ここのルドン・コレクションはかなり充実している。
[2006 August 追記] 愛知・三重・岐阜三県美術館共同企画「ルドンとその時代」展を 岐阜県美術館に見に行った。岐阜美術館のルドン・コレクションを中心にして 近代西洋絵画を概観するものである。充実したルドン・コレクションを利用した良い企画だった。 目玉が宙に浮いている幻想的な絵とか、晩期の色彩豊かな花の絵とか、ルドンの世界が満喫できた。 [追記ここまで]
滋賀県近代美術館は、小倉遊亀のコレクションが有名ということで、 小倉遊亀が特集されている。小倉遊亀に関する樺山紘一の文章より:
小倉遊亀は、まるでマティスのようだ。着衣であれ、裸身であれ、ちょっと身体をひねって 崩れをみせる女性の姿。背景が、日本がにあっては稀なほどに、原色でぬりこめられている こともある。マティスのように、奔放にえがいてはいないが、それでもしどけない肢体がかもしだす、 ほんわかとした安楽さはどうだろう。(中略)

敗戦による日本文化の伝統への懐疑が語られるようになると、古来の画風を継承するのか、 転覆されるのかと、危機感をいだく鋭敏な作者たちがあらわれた。

遊亀は、その嵐のなかで苦悶したにちがいない。そこで出会ったものこそ、マティス。 フォーヴィズム(野獣派)の巨頭にして、二十世紀美術の最前線。