小倉遊亀は、まるでマティスのようだ。着衣であれ、裸身であれ、ちょっと身体をひねって 崩れをみせる女性の姿。背景が、日本がにあっては稀なほどに、原色でぬりこめられている こともある。マティスのように、奔放にえがいてはいないが、それでもしどけない肢体がかもしだす、 ほんわかとした安楽さはどうだろう。(中略)敗戦による日本文化の伝統への懐疑が語られるようになると、古来の画風を継承するのか、 転覆されるのかと、危機感をいだく鋭敏な作者たちがあらわれた。
遊亀は、その嵐のなかで苦悶したにちがいない。そこで出会ったものこそ、マティス。 フォーヴィズム(野獣派)の巨頭にして、二十世紀美術の最前線。