私が感じたのは、この間の歴史の大きな流れが、なんだか1人の人間の 成長過程と重なってみえるということです。(中略)その後、1990年代の平成不況下の J-POP は、たとえれば困難な現実に 直面した成人期の歌。「夏の渚の恋」の全盛期のような能天気な明るさは すっかり影を潜め、「時代」について考察を巡らす、シリアスで内省的な 歌詞が多くなっています。大切なものを「守る」という、いわば保守的な 姿勢も、まさに大人のものですね。すると、今後は老熟期ともいうべき 時代がやってくるのでしょうか?
第1回は、日本語は和漢洋起源の単語が同じような意味でそれぞれあるので、 語彙数が多く、かつ使い分けが難しいという話。たしかにそうだろうと思う。 ただ、ちょっと納得しがたいのは英語も語彙数がたいして無いようなことが 書いてある点だ。英語もゲルマン系起源、ラテン系起源など単語数が豊富で、 勉強しても勉強しても次々に出てくる感じなので、私は閉口している。だから、 日本語とどっちが多いとは言えないように思う。それ以外の記述はまさに その通りだと思うことが多い。漢字の読み方が何種類もある点も、私は 逆に、中国語や韓国語が基本的に1文字1発音だと聞いたときは、 驚いたくらいだった(変なのは日本語の方なわけだが)。 省略語が難しいというのも、日本語学習者は大変だろうなと思う。 辞書を引いても「連ドラ」も「ブラピ」も出てこない。その点、 英語の場合は、slang 辞典なども参照すれば、載っていない単語に出くわすことは ほとんどない。もっとも、日本語学習者が増えれば、省略語辞典も出来るのだと 思うが。
第2回は、「自動詞」「他動詞」のニュアンスの違いと使い分け、 および、「〜てあげる」「〜てみる」などの「てフォーム」の話。 「自動詞」「他動詞」問題は、英語では自動詞と他動詞が 全く同型ということもよくあり、感覚が違うだろうなと思う一方で、 われわれが英語文法で現在分詞と過去分詞の使い分けを覚えるのと 似たようなものなような気もする。「てフォーム」は、日本人は 自然に覚えるし、学校文法でも出てこないので、日本人にとっては 盲点になっている。日本語にはそういう規則があったんだと気付かされる。
第3回は、似た意味だがイメージが違う形容詞の話。たとえば、 「親切」はプラスイメージだが、「お節介」はマイナスイメージだ。 これの使い分けが外国人には難しい。しかし、英語でも私は似たような 経験がある。直訳すると「驚くべき」になる amazing, surprising, appalling などという一群の形容詞がある。amazing はプラスイメージ、appalling は マイナスイメージで、surprising はニュートラルかマイナスである。 私は amazing と言うべきところを surprising と言ってけげんな顔をされた 経験がある。したがって、こういう問題はどこの国の言葉でもあるだろう。
第4回は、文末表現が表すさまざまのニュアンスの話である。 これは外国人にはたしかに難しいだろう。外国人の日本語を聞いていて、 かなり達者な人でもときどき不自然になるのが、この文末表現である。 逆に、私は英語で話していると、この文末表現に相当するニュアンスを ときどき加えたくなってしまうのだが、どうしようもなくなって途方にくれる。