地球の線形粘弾性変形とそれに伴う諸現象の物理を書いた本である。 第3章までは、基礎的な物理を説明したものである。第1章は 粘弾性変形をノーマルモードの形式で定式化する方法、 第2章は層構造球対称地球での応答関数(Love数)の計算例、 第3章は地球変形を伴った極運動の定式化がそれぞれ書かれている。 第4章以降は、地球科学への応用例である。第4章は氷期・間氷期サイクルに伴う 極運動と J2-dot の話、第5章はさらに高次の重力場の変化、 第6章は postglacial rebound や teconic processes に伴う海水準変動、 第7章はテクトニクスと地球回転、第8章は地震後の余効変動の話である。 これでわかるとおり、線形粘弾性変形に関係するかなり広い範囲にわたっており、 その研究を概観するのに良い。
しかし、概観するのに良いとはいえ、大変読みづらい。長大な論文とレビューを 読まされている感じだ。しかも、概観できるのは著者のグループの研究だけである。 それもそのはず、この本の多くの部分は著者らが過去に書いた論文を 切り貼りしたものだからである。たとえば、4章の多くは Vermeersen and Sabadini (1999), Vermeersen et al (1997), Sabadini et al (2002) から取られている。文章を比較してみると よくわかるように、これらを切り貼りして糊でつないだだけのものだ。なお、Sabadini et al (2002) は新しいせいか文献表から落ちているので、ここで紹介しておこう。それは
Sabadini, R., Marotta, A.M., De Franco, R. and Vermeersen, L.L.A. (2002)である。私が感じる疑問は、このようなスタイルで書かれたものが教科書と言えるのだろうか? ということである。前書きによると、この本は大学院生を念頭に書かれたものらしいが、 おそらくふつうの地球物理の大学院生は途中で投げ出したくなるだろう。 私が考えるに、教科書というのは、おのずから論文とは異なるスタイルで書かれるべきである。 基礎的な物理を丁寧に説明し、他の研究者の研究への目配りも十分でなければならない。 それは過去の論文の切り貼りではできないことである。この本を読んで役に立つのは、 この方面の研究をすでにある程度行っている大学院生とか研究者で、著者らの研究を概観したい人に 限られるだろう。私は、地球のコアなどの研究などをしている者だが、正直に言えば読むのが けっこう苦痛だった。
Style of density stratification in the mantle and true polar wander induced by ice loading
J. Geophys. Res. 107(B10), 2258, doi:10.1029/2001JB000889
このような書き方がされているために、節の間の関係がわかりにくいところがある。一応 表面的にはつながるように書かれているが、全体としてよくわからないということが起こる。 たとえば上の Sabadini et al (2002) が元になっている 4.7 節は それ以前に書かれていることを否定していることになっているのだが、それに関して 整理がなされていない。4.4 節では postglacial rebound による TPW (true polar wander) や J2-dot からマントルの粘性を求める話が丁寧に書いてある。それなのに、4.7 節になると、相変化や adiabaticity の効果を 入ると 4.4 節のやり方では根本的にいけなくて postglacial rebound だけでは TPW を説明できないということになる。 さらに 7.2 節まで来ると、TPW は tectonic processes の影響も大きく受けるので、 TPW を postglacial rebound のせいだと思ってマントルの粘性を推定するのは無理だということが 明らかにされてしまうのだ。研究というものは紆余曲折があるものだといわれればそれまでだが、 4.4 節を丁寧に読んだのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。こういうことをきちんと整理するのが教科書というものだ。
4.7 節の内容は実は非常に重要そうだ。著者が一貫して使っているモード展開の手法が最も効果を発揮している。 最初読んでいてモード展開法のご利益がよくわからなかったのだが、4.7 節に来るとよくわかる。 adiabaticity を入れると浮力モードがなくなるということを、浮力モードをを抜いてみて確かめるというのは 効果的である。ただ、この効果がこの著書のほかの部分に書かれているやこれまでの他のグループの研究の結果に どのような影響を与えるのかが十分に書かれていないのが残念である。新しい内容だからしかたのない意味もあるが、 教科書である以上、もう少し整理がなされるべきだ。
基礎的な定式化のところもわかりにくい。形式的な数式の変形が多く、しかもそれが self-contained ではない。ちょっと難しい式は、別の論文を引用し式の導出を省略しているから、 初学者にとっては frustrating である。たとえば、第1章では、最初は φ 成分を煩雑 だからと言って省略しておいているにもかかわらず、途中で toroidal 成分の式がいきなりでてきたりする。 第2章では、Love 数の定義は一応書いてあるが、説明が不十分だから、初学者は面食らうだろう。 他の場所でも、重要な Love 数の関係式が説明不十分なまま使われているところがある。 第3章では、導出がそれほど大変でもないはずなのに MacCullagh の公式の導出を省略している。 このように、式の導出が不完全である。しかも、形式的な式変形が多いわりに、 物理的な説明が少ないので、読者は形式だけを追わされてつまらない。
さらに、本当の専門家でなければ興味を共有できない計算上の細かい問 題の記述が多すぎる。たとえば、第2章のほとんどは、地球を何層に区 切ると良いのか、区切り方で違いが出るのはなぜか、という問題にあて られ、専門外の人間にはおもしろくない。また、別のグループが書いた 専門的な論文の技術的な議論がなされる箇所も、その論文を知らない人 間にとってはよくわからない。たとえば、第2章4節は Fang and Hager (1995) を議論したものだし、第3章4節は Wu and Peltier (1984) を議論したものだが、その論文を読んだことがない者にとっ てはあまりにもテクニカルで問題意識を共有できない。
まとめると、この本は、著者らのグループとテクニカルな問題意識を共有している 研究者が、著者らの重要な研究を概観するために読む本である。著者らの 研究の基礎的な定式化の方法を知りたい人にも良い。それ以外の人は、 興味ある内容について、著者の個別の研究論文を読めば十分であろう。
最初に式がたくさん出てきて基礎理論を解説するのだが、これが見通しの良い書き方ではない。 たとえば、最初に線型弾性論の式が出てきてぐちゃぐちゃいじくり回し、 肝心の粘弾性との対応原理の説明は Chapter 1 Section 4 まで待ってようやく 出てくるといった具合だ。あるいは、最初はポロイダル成分に限るような書き方をしながら 突然 (1.35) 式でトロイダル成分が付け加えられるというのもある。
4.7 節は 5 章との整合性もない。研究途上のことだから完全にはわかっていないのは理解できるが、 何がわかっていて何がわかっていないことなのかを章の最初で整理しておいてもらわないと 読者は路頭に迷う。
4 章から 5 章の計算では、どのパラメタをどの値に固定してどのパラメタを決めようとしたのか 完全に記述されていない箇所がいくつもあり、気になった。要するに未完成の研究を並べてあるので、 モデル同士の関係がわかりにくい。
6.5 のスラブの問題は、線形論の限界かもしれない。スラブが沈む様子を点源を次々に下に向かって switch on してゆくことで考えているが、リアリティにおいてマントル対流を直接扱ったものには 負けるし、かといって線形論を使ったことで物理的に明快かというとそうでもない。位置の動かない point force にしているために t→∞ で本来は下に落ちてゆくものが isostatic に compensate される というのも不思議な話だ。これは 4.7, 4.8 の adiabaticity と関連している。
6.3 の postglacial adjustment と tectonic process の両方が同程度にアドリア海周辺の 海水準変動に寄与しているという話は興味深い。
6.2 の postglacial rebound による geoid, 海水準変動は教科書としてはあっさりしすぎている。 著者の仕事はそれだけかもしれないが、学問分野全体としてはもっと書くことがあるはずだ。