気候変動の文明史

安田喜憲著
NTT 出版ライブラリーレゾナント 006、NTT 出版
刊行:2004/12/30
名大生協で購入
読了:2005/12/02
今年の教養講義勉強シリーズ第3弾。気候がいかに文明の盛衰に影響するかをいろいろ語っていて勉強になる。 さらに、その端々で、森林破壊への警鐘という著者のもう一つのモチーフが挿入される。

しかし、どうも言い過ぎではないかと思えることも多いし、以下に書くように私がちょっと調べた歴史の年代と 合わないところもある。また、過去におこったことを比較的単純に未来予測に結び付けているところは、 かなり断定的でアクが強いので、好みが分かれるだろう。さらに、あらゆる気候変動を歴史的な事件と結び付けている 感じで、本当にそこまで全部対応させて良いのか疑問が残る。冷静に言えば、いろいろ勇み足のところも多いのだけれど、 かなり楽しんで読めるのは確かである。花粉分析という地味な分野の専門家でこれだけ派手なことを言うのは珍しい。 とはいえ、ある程度事情の分かっている人がこのアクの強さを楽しむのは良いのだが、 一般人向けとしてはもうちょっと抑えた方が良いと思う。

歴史と気候の結び付け方がご都合主義的だと思うところもある。それは、たとえば以下のような部分である。 第5章の初めで、寒冷期には覇権主義がのさばる、と書いた直後に、21世紀は温暖化するにもかかわらず 環境悪化に伴ってやっぱり覇権主義に突き進む、と書いてある。これはちょっと節操がないように思う。 21世紀は特別だということかもしれないが、ならば、歴史から学ぶ、という意義も半減してしまう。


以下、サマリーと感想
第1章 気候変動の新たな動き
地球温暖化の話とイースター島の衰亡の話を出して危機が迫っていると煽っている。
[感想] 私としては、ちょっと煽りすぎだと思う。無論、21世紀が20世紀と大きく変わるだろう事は 確かだと私も思うが、温暖化とイースター島で煽るのは偏りがある。
第2章 地球温暖化と人類絶滅
1 マンモスの絶滅と人類絶滅のアナロジー
マンモスが絶滅したのは 15 ka 以降の気候の温暖湿潤化である。最終氷期には寒冷乾燥気候の下で ステップだったところが、冬の雪が増えて、湿性ツンドラになりやがて森林になった。これに人類による 狩猟圧が加わり、マンモスが絶滅した。さらに、モンスーンアジアでは温暖化がヨーロッパより 500 年早かった。 すなわち、温暖化によってアジアが最も早く影響を受けるはずだ。
[感想] マンモスの話はそれで良いのだが、温暖化がアジアで早かったかどうかはまだ疑問だと思う。 だから、そのことをもって危機を煽るのは疑問。
2 地球温暖化の未来はアジアからはじまる
15 ka の温暖化に適応した技術革新はアジアにおいてまっさきになされた。それが土器革命と定住革命である。 だから地球温暖化の未来もモンスーンアジアから始まるだろう。
3 歴史的転換期には大洪水が起きる
温暖化によって洪水が頻発するようになる。[例1] ナイル川が現在のような姿になったのは、 最終氷期が終わって温暖湿潤化してからである。過渡期の 14.5ka--9ka は多雨・洪水期で、このとき 供給された大量の淡水によって地中海の混合が停滞し、海底にサプロペル層ができた。 [例2] 著者らによる三方湖の調査でも 14.5ka--9ka に大洪水が頻発したことが示されている。
Younger Dryas はローレンタイド氷床の崩壊で北大西洋に一気に淡水が流出することで起こった。 この寒の戻りにより麦作農耕の技術革新が起こった。 モンスーンアジアでは Younger Dryas が弱いことが水月湖の調査から分かった。時期も 300 年遅れる。 だから、今後の化石燃料枯渇による寒冷化では、ヨーロッパや西アジアで技術革新が起こるであろう。
[感想] 現在の温暖化を暴風雨や洪水の頻発につなげるのは、巷ではよく言われることとはいえ、 それほどしっかりした根拠のあることではないと思う。スフィンクスの建設年代を 強引に古くしたがっているところが著者らしい。
4 ノアの大洪水
7500-6500 BP は hypsithermal と呼ばれる温暖期だが 5700 BP に寒冷化が始まる。この寒冷化している 時期に雪が増えてユーフラテス川下流に大洪水を起こした。これがノアの洪水の伝説を生んだ。 洪水は、温暖化にしろ寒冷化にしろ気候変動期に増えるのである。
一方、5700 BP の寒冷化に伴い乾燥化が起こる。そのことにより大河のほとりに人々が集中し、 古代文明が生まれた。
第3章 地球温暖化を生きた日本人
1 地球温暖化に翻弄された桓武天皇
  • 620 ころ -- 740 ころ : 万葉寒冷期
  • 740 ころ -- 900 ころ : 大仏温暖期(中世温暖期の開始期): 北朝鮮から中国東北部で渤海が栄えた
大仏温暖期に大和政権が東北進出をする。740 年ころから仙北平野に入植が始まる。これに対し、780 年 伊治公呰麻呂が反乱を起こし、以後 30 年以上にわたって蝦夷と大和政権が争う。
温暖化に伴い、風水害と旱魃が増加する。そのため洪水常襲地帯だった長岡京に洪水が頻発し、長岡京は 早々に諦められ、平安京に遷都する。
地球温暖化に伴い、21世紀を東北の時代にしよう。
2 中世温暖期に怨霊になった菅原道真
900 -- 930 年ころ、中世温暖期の中の一時的な寒冷期「渤海滅亡寒冷期」に入る。そのため 天変地異が頻発した。菅原道真が大宰府で客死したのが 903 年で、そのため天変地異は菅原道真の怨霊と 考えられるようになった。
3 渤海滅亡寒冷期とマヤ文明の崩壊
920 -- 925 年ころが中世温暖期の中の一時的な寒冷期「渤海滅亡寒冷期」のピークである。これには 915 年の十和田カルデラの噴火も関係しているかもしれない。この寒冷化の結果、926 年、 渤海は契丹に滅ぼされた。一方、中米のマヤ文明もこのときの乾燥化により同時期に崩壊した。
第4章 温暖期には女性が元気になる
1 地球温暖化と女王国の誕生
温暖期には母権制社会ができる。
BC1000-BC500寒冷期
BC400-AD100温暖期雲南に?(さんずいに眞)王国が発展:母権制社会、青銅器文明
AD100-AD200寒冷期
  • 北アフリカ:ペスト流行(125)
  • ローマ:アントニヌスの疫病(165-180)
  • 中国:黄巾の乱(184)、後漢滅亡(220)
  • 日本:倭国大乱(146-189)
  • 東アジア:洪水多発
AD200-AD250温暖期邪馬台国:母権制社会
第5章 寒冷期には覇権主義国家が台頭する
1 大化の改新が語る覇権主義国家の恐怖
520 ころ -- 610 ころ温暖期590 -- 610 ころは
  • 中国:隋の繁栄                  
  • 日本:聖徳太子の時代
610 ころ -- 620 ころ寒冷化
  • 中国:ペスト流行 (610)、隋の滅亡 (618)                  
  • 日本:聖徳太子の時代
620 ころ -- 740 ころ寒冷期「万葉寒冷期」
  • 中国:疫病流行
  • 東アジア:唐・新羅の侵略により、百済滅亡 (663)、高句麗滅亡 (668)
  • 日本:飢饉 (626, 636, etc)、大化の改新 (645)、壬申の乱 (672)
740 ころ -- 温暖期「大仏温暖期」天平文化
645 年の大化の改新は、親中派(蘇我氏)に対する独立派(中大兄皇子、中臣鎌足)のクーデターである。 661, 663 年のの朝鮮半島出兵の失敗(白村江の戦)は、独立派の天智天皇(中大兄皇子)の外交失政と言って良い。 唐と新羅が勢力を延ばすという国際情勢の緊張の中で、672 年に壬申の乱が起こり、親中派の大海人皇子が勝利する。 天武天皇(大海人皇子)は、唐の律令制を取り入れつつも、肉食を禁じ、結果的に日本の森を守ることになった。
[感想] 肉食を禁じたことが、羊や山羊などから森を守ったという言い方は本当に正しいかどうか検討を要するように思う。 少なくとも江戸の終わりには、燃料等の用途のために日本中にかなり禿山があったことが知られているからである。 森林を破壊するのは、羊や山羊だけではないし、日本の急峻な山でそもそも放牧が十分に出来るかどうかは疑問である。
2 小氷期における魔女狩りの恐怖
16 世紀後半と 17 世紀は小氷期と呼ばれる寒冷期だった。このとき西欧では魔女狩りがさかんに行われた。 殊に、西欧における寒冷化のピークである 1580--1590, 1620--1630, 1660 ころには魔女裁判の数もピークとなった。
第6章 寒冷期には民族大移動が起こる
1 ボート・ピープルがもたらした稲作
3000BP (BC 1000) ころに寒冷化が起こり、同じころ大陸から稲作が伝わった。 これは、大陸の混乱から逃れた人々が難民となって日本にやってきたせいだろう。 このころ、大陸は殷・周革命から春秋戦国時代へという動乱期だった。 寒冷化による海退によって低湿地が増えていたことも、稲作に適した土地を作ることとなった。
2 騎馬民族と巨大古墳の世紀は寒冷期だった
古墳時代の気候の変化
  • 4 世紀:温暖期
  • 5 世紀 (430 ころ -- 520 ころ) :寒冷期(日本は湿潤、大陸は乾燥)
  • 6 世紀 (520 ころ -- 620 ころ):温暖期(日本は乾燥)
古墳時代中期の寒冷期は、遊牧民の時代である。中国では北魏、朝鮮では高句麗が勢力を持った。 ヨーロッパでは、遊牧民フン族の侵入によって、ゲルマン民族の大移動が起こった。 日本では巨大古墳が出現する。これは大陸からの渡来民の技術によるのかもしれない。
[感想] 著者は 5 世紀の渡来民を騎馬民族かもしれないとし、それを崇神天皇と崇神期の疫病の 流行と結び付けている。しかし、崇神天皇の時代は、ふつうの推定だと 3--4 世紀、あるいは それ以前とするもののようなので、時代が合わない。そもそも江上波夫の騎馬民族説だと、4 世紀前半に 騎馬民族がやってきて九州王朝を建て、4 世紀末から 5 世紀初めに畿内進出をしたとされる。 (参考 HP 邪馬台国の会)
第7章 地球温暖化と現代文明の崩壊
1 環境破壊と大旱魃が古代文明を崩壊させた
メソポタミア文明は古くから森林破壊を行ってきた。これが文明の崩壊の一つの要因であった。 森林崩壊が遠因となって BC 2000 ころには塩害が顕著になっている。
4000BP (BC 2000) ころの気候の悪化がさらに重要である。4500BP から気候悪化が始まり、 4200--4000BP, 3800--3600BP には寒冷・乾燥のピークを迎える。
  • メソポタミアではこの2度の乾燥により、多くの都市が放棄され、メソポタミア文明が崩壊した。
  • メソポタミアと交流のあったインダス文明も同じころに崩壊する。
  • 長江文明では 4500BP から大都市が作られるようになる。4200--4000BP にかけて長江文明が衰退する。 これは、北方の畑作牧畜民が南下してきたせいだろう。
  • ドイツでは 4500--3800 BP には人がいなくなっている。

[感想] この年代は、バビロニアでは、シュメール、アッカド王国からバビロニアに移り変わるあたりで、 これでメソポタミア文明の崩壊という言い方をするのは疑問がある。有名なハンムラビ王の時代は BC 1792 -- 1750 (or BC 1728(9?) --1686) である。
2 現代文明崩壊のシナリオ
ギリシャ文明の盛衰とのアナロジーで現代文明の崩壊のシナリオを描いてみせる。
[感想] 現代文明崩壊のシナリオは脅しすぎ?また、文章中、デカルトの「我思う、故に我あり」を 自我の絶対性を表す言葉としているのはいただけない。
第8章 水が地球温暖化時代の文明の未来を決める
1 現代文明は水でゆきづまる
地球温暖化によって、大陸の内陸部は乾燥化し、海岸部は洪水が増えるだろうと予測する。 殊にすでに森林が破壊された地域は、ひどい水不足に陥るであろう。 日本の将来においては、森林を大切にし、河川流域系を単位とした稲作漁撈生活をするべきである。 それは「森の環境国家」である。
終章 イースター島モデルを超えて
モンスーンアジアの稲作漁撈民の智恵を生かせば、将来の危機を乗り越えられるかもしれない。