そもそも神道がどの範囲を指すのかが本当は問題である。狭い意味で定義すると、 神社本庁が管轄するものだけになるだろうし、広い意味では、日本で独自に 生まれた信仰で、キリスト教や仏教等の既成宗教の分派とみなされないものすべて になるだろう。この本では、神道をどちらかというと後者の広義にとらえてある。 とくに、著者が教派神道や新宗教等の研究者であるせいもあって、そういった いわゆる神道系新宗教まである程度詳しく書いてあるのが特徴。そもそも 狭義の神道だけを対象にすると、国家神道の流れを引き継ぐものだけになって しまうので、神仏習合などの重要な概念が抜けてしまう。そうすると、 八幡信仰、金比羅信仰や修験道など現在にまで引き継がれる信仰が 訳の分からないものになってしまうので、「神道入門」としては全く 不適切なものになるだろう。たとえば、金比羅さんがもともとはインドの クンビーラ神で、それは仏教十二神将の宮毘羅(くびら)大将と同じもので、 それが大物主神(おおものぬしのかみ)や大黒天と混ざってできあがったものだとは、 私は初めて知った (pp.170-171)。こんなことは、金刀比羅宮の ホームページを見ても書いていない。一方で、民間発祥の信仰をどこまで 入れるかも、本当はたぶん問題である。この本では、著者の専門のせいもあって、 ある程度全国的な広がりを持った天理教などの神道系新宗教や富士講などまでは 入れてあるが、本当にローカルな信仰までは取り上げていない。でも、 六曜やら忌み言葉のような俗信は取り上げている。
本書の章構成を見ると、本書が比較的広く浅くいろいろな話題を扱っている ことがわかる。神道は輪郭がはっきりしないものなので、 全貌が見ようとすると、いろいろな側面を様々の角度から見ていかないといけない。
これを読んで以前から思っていたことがさらに強められた。 神道の多様な側面のひとつの分類として、 国家の支配装置の一部としての側面と、民間から自然に起った自然崇拝 (太陽信仰や山岳信仰など)の側面とが分けられよう。 前者には、当然のことながら天皇家が深く関わる。私は、 後者は大事にしたいと思うけど、前者は似非宗教だと思っているので、 前者が力を持った飛鳥から奈良時代と明治から戦前は、 神道の暗黒時代だと思っている。たとえば、諏訪大社の御柱祭の起源は、 公式の祭神のタケミナカタノミコトとは無関係らしく、起源をさぐるには 大和朝廷と明治政府が塗り替えてしまった歴史の欠落部を推測するしかないらしい。 明治の宗教改革は、神道を破壊することで日本人の精神を破壊した。 これは右翼な人の見方とは正反対だと思うけれど、神道の歴史を見てゆくと、 やはり明治政府がやったことがあまりにも異常であると言わざるを得ない。