著者が古代ギリシア哲学の泰斗であるせいか、第1部と第2部は 非常にわかりやすく、ギリシアの思想とヘブライの信仰の 幹になる考え方とその変遷が歴史を追って簡潔に語られている。 それぞれの思想が、それ以前の思想に対して、どこが変わらず、 どこが変わっていったか、あるいは深まっていったかがくっきりととらえられている。
それに比べると、第3部はページ数の制約もあるけれど、 駆け足過ぎてよくわからない部分もある。とくに、紹介されている哲学者 独特の用語とか語法がそのまま使われているような部分はわかりづらい。 もともと難しい思想だからと言われればその通りかもしれない。 しかし、ジュニア新書である以上は、 そういうものももっと解きほぐして見せることはできなかったのだろうか? たとえば、トマス・アクィナスの思想を説明するときに、アリストテレス用語を 用いて
あらゆる有限な存在者は、しばらく活動するが、いずれはかならず滅亡する。 それゆえ、あらゆる滅亡可能な(可能態としての)存在者の根源に、 活動そのものとしての純粋現実態である存在者がなければならない。と書いてあるところは、多少前後に説明があるものの、なぜ「それゆえ」なのか とか、「純粋現実態」が何を言いたいのかよくわからない。べつに 「活動そのもの」が存在しなくたって構わないのではないか?
あるいは、 ニーチェやハイデガーの説明で、彼らの思想がもともと文学的な部分があるから しょうがないといえばしょうがないのだが、それでもその文学的な言葉遣いを
詩人は、天の明るさと響き、地の暗さと沈黙、を収集するが、この光景のうちに 己を表すことによって、まさに己を隠すものを、己を隠すものとして告げ 知らせるのである。のようにそのまま使うのはどうかと思う。私の考えでは、言い換えるとか 十分に説明するとかできないものだとすれば、もともと論理的には 理解できないものなのである。もともと感覚的にしか理解できない性質のものならば、 そういうものであると明示的に書いてほしい。