系統樹思考の世界     すべてはツリーとともに

三中信宏著
講談社現代新書 1849、講談社
刊行:2006/07/20
名大生協で購入
読了日:2006/11/05

系統樹をめぐる思想的背景が語られるというなかなか珍しい本。 一番目を引いたのは最後の文献リストであった。広い範囲の諸分野の本が 集められていて、著者の読書家ぶりがわかる。中身の方は、 近所に系統樹をたくさん書いている研究室があるせいか、私にとっては ちょっと新鮮さが薄くて突っ込み不足かなという感じもなしとしない。 読んでいておもしろいことはいろいろ散りばめられてはいるのだが、 全体としては少し散漫な印象がある。

第1章で、普遍を扱う科学(物理学など)と個別を扱う科学(歴史を扱う科学など)を 対比して、前者だけが科学ではないと強調するところから始めているのが 好感が持てる。普遍を扱う科学においては、科学的であることの基準は 観察可能性、実験可能性、反復可能性、予測可能性、一般化可能性であるとされる。 ところが、進化などの歴史を扱う科学にはこれらはあてはまらない。 一度しか起こらないかけがえのないできごとを対象にするからだ。 ここでは、abduction という推論方法が、科学的である基準を与えるとしている。 しかし、気になることは、このようなアブダクションとか仮説演繹法に類する話は、 いかなる科学にもあてはまるとも言えるのであり、歴史科学の特質を 浮き上がらせるものではないからである。著者は、さらに type(型:普遍)と token(個例:個別)という言葉を紹介して、普遍と個別の対照を明確化すると 同時に、普遍科学と個別科学がきっちり分けられるものでもないことを説明している。
(吉田注)ここでは abduction は、「与えられた証拠の下で最良の説明を 発見する推論方法」であるというふうに紹介されている。この紹介の仕方は 私の知る範囲では、ちょっと正確でない感じがする。induction が 「個別事例から普遍化すること」であるのに対し、abduction が 「結果から原因を推論すること」であると紹介した方が対比がはっきりする。

第2章では、歴史を扱う学問の方法の代表的なものが、体系的な比較により 系統やネットワークを推定するということであることが述べられる。 強調されていることは、そのような方法が文系とか理系とかいった学問分野に 依らないということである。ここで面白いのは、著者が学問の歴史を さかのぼってみるのが好きであるらしく、古い考え方をいろいろ 掘り起こしている点である。

第3章では、最節約法(最大節約法, parsimony)の考え方が説明されている。 この「最も単純なものが最良」という考え方は文系でも理系でも変わらない。

第4章では、現代的な系統樹の構成法の起源と広がりが概観されている。 Gareth Nelson が数学的でドライな系統樹の構成の仕方を作り出した。 その記念碑的な教科書に Gareth Nelson and Norman Platnick (1981) "Systematics and Biogeography: Cladistics and Vicariance" がある。 その後で、系統が分岐するだけでなくて融合するようなことがあったり、 生物の世界でば寄生関係があったりすることから、ツリー型ではない 複雑な系統関係が出てくることが説明される。

最後のエピローグでは、「種」という変化のない同一性の概念と 系統進化という変化の概念を対立させて論じている。著者は「種は幻だ」 と言いたいようなのだが、今一つ切れ味が鈍い感じがする。なぜかといえば、 生物の系統樹の端が種(それより小さな集団であることも大きな集団であることも あるが)であることをどう考えるのかとか、そういった突っ込んだ議論がない からである。


哲学用語や哲学概念の使い方に関する問題点を 専門家が指摘したものを見つけた。