両班とは、もともと文官(東班)と武官(西班)とを合わせて指す言葉なのだが、 本書で取り上げているのは、身分階層としての両班である。 それは、基本的には文官を輩出する家系のことで、自ら生産せず 奴婢を使って生産活動を行う同族集団である。ソウル周辺に居住して 高級官僚を輩出する在京両班と農村部に居住する在地両班がある。 本書で扱うのは、主に在地両班であり、とくに安東(アンドン)の権(クォン)氏を モデルケースにして、李朝時代を通じての在地両班の形成と変容を 史料から浮彫りにしている。
在地両班は 16 世紀を中心に形成する。地方出身で中央の高級官僚になった人が 地方に戻って土着化して形成したケースが多い。農地の開発が進んだ時代とも 重なっており、両班は奴婢を使って農地開発をしながら財産を増やしている。 奴婢の地位は低かったものの、主人の仕事をサボったりしてしたたかに 生きていたようである。
18, 19 世紀になると、農地開発が進まなくなり両班の経済力が停滞してくる。 それとともに同族結合が強まったり、男系が強まったりする。それ以前は、 男女平等に相続が行われていたのが、経済力が弱まるとともに女子への分け前が 減ってくるのだ。一方で、両班より下位の郷吏層が両班になりたがる傾向も 強まる。両班的価値観がこのように浸透するのに伴って、儒教的価値観も 社会全体に浸透してきた。
本題とは離れるが、結びのところで、いわゆる伝統というものが それほど古いものではないことを強調しているのが、なるほどと 思わせる。朝鮮は「伝統的に」儒教の文化が浸透しているが、 そうなったのは李朝時代からで、本書に書かれている通り、 その普及には在地両班の形成と浸透が深く関わっている。 その前の高麗は、仏教国であった。このように「伝統」がそう古くないというのは、 日本も同様で、多くの日本的伝統は江戸時代以降に形成・普及したものである。