両班(ヤンバン)     李朝社会の特権階層

宮嶋博史著
中公新書 1258、中央公論社
刊行:1995/08/15
名古屋本山の古本屋大観堂書店で購入
読了日:2006/09/20

ソウル旅行記念で読んでしまった本。李朝時代の両班の形成とその変容を 多角的に丹念に追ってある。近頃の軽薄な新書に目が慣れていて、こういう 半分研究書的な新書を見ると、そういえば一昔前はこういう重厚な新書も あったのだなあとちょっと感慨があった。重厚と言っても、決して分かり づらいわけではなく、自然に読めるように書かれている。

両班とは、もともと文官(東班)と武官(西班)とを合わせて指す言葉なのだが、 本書で取り上げているのは、身分階層としての両班である。 それは、基本的には文官を輩出する家系のことで、自ら生産せず 奴婢を使って生産活動を行う同族集団である。ソウル周辺に居住して 高級官僚を輩出する在京両班と農村部に居住する在地両班がある。 本書で扱うのは、主に在地両班であり、とくに安東(アンドン)の権(クォン)氏を モデルケースにして、李朝時代を通じての在地両班の形成と変容を 史料から浮彫りにしている。

在地両班は 16 世紀を中心に形成する。地方出身で中央の高級官僚になった人が 地方に戻って土着化して形成したケースが多い。農地の開発が進んだ時代とも 重なっており、両班は奴婢を使って農地開発をしながら財産を増やしている。 奴婢の地位は低かったものの、主人の仕事をサボったりしてしたたかに 生きていたようである。

18, 19 世紀になると、農地開発が進まなくなり両班の経済力が停滞してくる。 それとともに同族結合が強まったり、男系が強まったりする。それ以前は、 男女平等に相続が行われていたのが、経済力が弱まるとともに女子への分け前が 減ってくるのだ。一方で、両班より下位の郷吏層が両班になりたがる傾向も 強まる。両班的価値観がこのように浸透するのに伴って、儒教的価値観も 社会全体に浸透してきた。

本題とは離れるが、結びのところで、いわゆる伝統というものが それほど古いものではないことを強調しているのが、なるほどと 思わせる。朝鮮は「伝統的に」儒教の文化が浸透しているが、 そうなったのは李朝時代からで、本書に書かれている通り、 その普及には在地両班の形成と浸透が深く関わっている。 その前の高麗は、仏教国であった。このように「伝統」がそう古くないというのは、 日本も同様で、多くの日本的伝統は江戸時代以降に形成・普及したものである。