漆芸―日本が捨てた宝物

更谷富造著(聞き書き:西川佳乃)
光文社新書 119、光文社
刊行:2003/10/20
名大生協で購入
読了日:2006/07/02

本書で言及されているテレビ番組 NHK スペシャル「千年の道具を守りたい」 をそういえば見た覚えがある。蒔絵に必要な筆に使う熊鼠が手に入らなくなった という話である。これだけではなく漆芸という伝統工芸は危機に瀕している。 そのことを訴えるのもこの本の目的ではあろうが、本書の眼目は実は 著者の型破りな世界的活躍を楽しむことにある。この本は聞き書きで まとめられたもののようで、いわば雑談の延長として気楽に読むことができる。 私も二晩で読み終えた。

著者は漆芸の修復の専門家として、国際的に活躍している。というのも、 本書によれば、それが出来る人が他にいなかったからだそうだ。 本書で語られている原因はいくつかある。

  1. 日本では古い漆芸作品を修復するということが そもそも行われない。古いものがあまり大事にされない上、 本当に古くて貴重なものは出来るだけ手を加えずに保存されることが良しとされる。
  2. 一方で、海外では、昔の豪奢で精緻な漆芸作品が大事にされ価値も高く、 修復を待っているものがたくさんある。
  3. 日本では、漆芸を好む人が少なかったので、技術レベルが下がっている。 昔の高いレベルの技術がわかる人がいない。
  4. 日本人は日展などの権威に弱いので、本当にオリジナリティーのある 良いものが評価されない。日展好みの画一的な作品が出来るだけに終わる。 技術も向上しない。
  5. 修復には様々の技術が必要だが、日本では専門分化が激しく、 ひととおり全部のことが出来る人がいない。著者は、木地やデザインを含め いろいろなことを勉強してきたので、一通りの修復ができるようになった。
  6. 海外に出るには、保守的な漆芸界を離脱する勇気が必要で、 さらに語学の学習をしなければならない。それだけのことをする人がいない。
沈滞している伝統工芸や伝統芸能にありがちなパターンが含まれている。 しかし、通常の伝統工芸と決定的に違うのは、欧米では価値が評価されていて 修復技能のニーズがあるということである。著者はそこを利用して、 保守的な伝統工芸の世界から脱出して生きることができた。 本書ではその活躍ぶり(自慢?)を読んで楽しむことができる。 こういう自慢話が、聞き書きで作る本の特徴かもしれない。 なお、「自慢話」というのは悪い意味で使っているわけではない。 横紙破りな活躍をしている人の自慢話はたいへん面白いものである。

漆芸を支える基盤の地盤沈下も何ヵ所かで語られている。
(1) 技術を企業秘密にしてしまう人が多いので、ただでさえ衰退気味の業界では、 技術が途切れてしまうことがしばしば起こっている。(2) 炭や金粉の技術も 後継者がいなくて、技術が跡絶えつつある。ひとつの原因は、技術の独占を していたいがために後継者養成を怠ってきたことにある。(3) 漆はもはや輸入品が ほとんど。(4) 筆の原料である熊鼠が手に入らなくなった。
そんな感じで、人間国宝を指定してはいても、それを支える部分は 崩壊してきているらしい。表面だけサポートしていても、 基盤が崩壊してきているというのは、科学技術行政も同じである。 日本の行政の悪弊と言える。

もし書かれていることがこの通りだとすれば、日本の漆芸の未来は暗い。 著者の更谷氏一人の努力ではできることが限られている。 本来は、人間国宝になるような人が、更谷氏のようなスター性のある人を 盛り立てていくとともに、基盤となる技術の延命に力を注がねばならない。 それができているのだろうか?

ところで、日本の行政と言えば、最後に現在住んでいる美瑛町の役人の理解の無さ、 融通の無さも書かれている。北海道は景気は悪いし人材は流出しているし、 まあそんなものであろう。それに関連して、美瑛から数十 km 南西の 夕張市が倒産した(財政再建団体に指定された)ニュースを最近聞いた。 やはり無能な市長と行政とそれに気付かない選挙民の為した結果なのであろう。