なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く

新谷尚紀著
文春新書 303、文藝春秋
刊行:2003/02/20
名大生協で購入
読了日:2006/07/12

ちょっと民俗信仰に興味が出てきたので読んでみた。全6章で、 いろいろな連載をまとめたもの。1章2章は、元が新聞連載なので、 民俗信仰の諸相を豆知識的にいろいろ紹介している。 3章は比叡山をめぐる話で新しく書いたもの、 4ー6章は新聞連載や雑誌記事をまとめたもので、全体として死に関する慣習や 伝承がテーマになっている。全体としても豆知識的に楽しめる本である。 単なる豆知識よりは背景の裏付けが書かれているが、しかし、統一的な 概念でまとめられた体系というものではない。

題名がいかにも最近の新書っぽいのは、今となっては陳腐化している感じがする。 著者もそこには若干の後ろめたさがあるらしく、題名に「日本人」と入れたことに 対する注釈を「はじめに」に入れているのが好感が持てる。 そこでは、鹿野政直「「鳥島」は入っているか」(岩波書店)を 引用して、いわゆる日本文化論が、「超歴史的」な外見をしていながらも 実は時事的なものであるであることを説明している。 民俗学はそういう軽薄なものと同類ではないよ、ということが言いたいわけである。

タイトルになっている賽銭を投げる行為は、「貨幣=ケガレの吸引装置」 という説明が示されている。清水にお金を投げ込むのも同様である。 これらのことを含めて、6章ではお金の意味がいろいろと考察されている。 お金には次のような意味があると解説している。

いろいろな習慣は時代とともにけっこう大きく変化していることが分かる。 たとえば、人の埋葬の仕方も、むかしは土葬と火葬の両方があり、むしろ 土葬の方が一般的だったらしいが、今はほとんどが火葬がなってしまった (pp.160-168)。墓石が普及したのは江戸時代になってからだそうだ (pp.151-157)。 そして言葉も変化している。たとえば、「親の死に目に会えないぞ」という戒めは、 本当は、親より先に死ぬという意味だったらしい (p.169)。

元が新聞連載だったりするせいか、よく読むと、 同じ話の重複があったり、日本語が変になっているところがある。 といっても、さして気になるほどではない。