題名がいかにも最近の新書っぽいのは、今となっては陳腐化している感じがする。 著者もそこには若干の後ろめたさがあるらしく、題名に「日本人」と入れたことに 対する注釈を「はじめに」に入れているのが好感が持てる。 そこでは、鹿野政直「「鳥島」は入っているか」(岩波書店)を 引用して、いわゆる日本文化論が、「超歴史的」な外見をしていながらも 実は時事的なものであるであることを説明している。 民俗学はそういう軽薄なものと同類ではないよ、ということが言いたいわけである。
タイトルになっている賽銭を投げる行為は、「貨幣=ケガレの吸引装置」 という説明が示されている。清水にお金を投げ込むのも同様である。 これらのことを含めて、6章ではお金の意味がいろいろと考察されている。 お金には次のような意味があると解説している。
いろいろな習慣は時代とともにけっこう大きく変化していることが分かる。 たとえば、人の埋葬の仕方も、むかしは土葬と火葬の両方があり、むしろ 土葬の方が一般的だったらしいが、今はほとんどが火葬がなってしまった (pp.160-168)。墓石が普及したのは江戸時代になってからだそうだ (pp.151-157)。 そして言葉も変化している。たとえば、「親の死に目に会えないぞ」という戒めは、 本当は、親より先に死ぬという意味だったらしい (p.169)。
元が新聞連載だったりするせいか、よく読むと、 同じ話の重複があったり、日本語が変になっているところがある。 といっても、さして気になるほどではない。