本多正信が、家康の傍らで助言者としてあるいは能吏として活躍したようすが 描かれている。正信は戦は得意ではなかったので、武功派の武将からは 恨まれたようだが、こういう忠実で知謀にたけた能吏タイプの人がいて 初めて、家康の国家統一の大事業が完成したのは確かなのだろう。 若い頃、三河一向一揆に加担して家康に反逆した形になってしまったのが 心の重荷になったがために、家康の極めて忠実な部下になったのだというのが、 この本での正信の描かれ方である。家康と一心同体になって思考することが 彼の喜びであったように描かれている。実際、所領も一万石しか持たなかった ということなので、自らの野心はあまりなくて家康のために生きたという話も その通りなのかもしれない。
70 歳を過ぎて、岡本大八事件、大久保長安事件が起こり、そのために正信は 江戸城で孤立することになった。大久保長安事件で、とくに大久保忠隣が 改易になったのは、本多父子の陰謀という話もあるようだが、 この本ではそうだとは書いておらず、どっちかといえば陰謀説は 濡れ衣であるかのようなニュアンスで書かれている。
程なく、家康の死を追うように、正信にも死が訪れる。