テレビ番組によれば、大化の改新のイメージは昔とは様変わりしているようだ。 それによれば、「日本書紀」では蘇我入鹿が徹底的に悪者にされているが、 それは違う。
拠るべき資料は、八世紀初葉の官府の史籍としての「日本書紀」をほかにしては、 質量ともに貧困である。「書記」の内容は、わたくしの課題にたいしては おそろしく空白である。その編述には疎漏な点がすこぶる多い。のみならず、 古代の支配者の立場によって、もろもろの史実は選択され、しばしば 歪曲されてもいる。とあるし、本文でも、「孝徳、斉明から天地にかけての「書記」の記載は、 ずいぶん杜撰なものだから (p.206)」などと書いてある。 とはいえ、日本書紀以外には頼るべき史料が少ないようで、 本書では日本書紀を中心にして歴史を組み立て、 「万葉集」や「鎌足伝」など(そのほかに何を使ったかは 引用に詳しい記述がないのでわからない)で周囲の状況を 補足するという構成になっている。言い換えれば、この本は、 日本書紀の皇極から天智にいたる部分の不完全で素っ気ない記述に対する 補足と注釈みたいなものである。
なお、日本書紀の全文が ここ(何と台湾のサイト、旧字体)とか ここ(新字体)とか ここ(旧字体)などにある。いずれも漢文のままで、書き下されていないので 素人には読めないのではあるが、それでも原文を参照したいときには参考になる。
本書の内容は、基本的には大化の改新を通じて中央集権がどのように進んで 行ったかという話が中心となる。改新の詔にしたがって、土地と人が 地方豪族のものから天皇のものへと再編されるようすが描かれている。 本文の書き方は必ずしも読みやすくないし、 引用されている日本書紀などには、現代語訳が付いていないので、 素人では意味が取れない部分があるのが不親切だと思った。 たぶん、日本書紀の現代語訳付のものを横に置きながら、それに対する 解説本だと思って読めば、たぶんもっと読みやすかったのだろうと思うが、 そうだと気付いたのは読み終わりかけていたころだったので、 そこまでせずにとりあえず読み終えてしまった。
改新の詔に関しては、本書の時点でも、日本書記の記述には後の時代の 法制の借用が含まれていることがわかっていたようだ (p.73)。とはいえ、 骨子は日本書紀の通りだったのだろうということで記述がなされている。
行政の話だけではなく、続けて起こる政変劇の話が全体の半分くらいある。 何が起こったかを順々にたどってみると、凄まじいばかりの 権力闘争の数々である。ためしに年表ふうにまとめてみる。 これらのうち、乙巳の変から有間皇子の変は、中大兄皇子と中臣鎌足の 陰謀であるように書かれている。
年 | 事件 | その説明 |
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587 (用明2) | 物部守屋戦死 | 用明天皇歿後、蘇我氏が戦って物部守屋を滅ぼす。 |
592 (崇峻5) | 崇峻天皇暗殺 | 蘇我馬子が、東漢直駒を使って祟峻天皇を暗殺。額田部皇女が即位して 推古天皇となる。 |
628 (推古36) | 蘇我摩理勢の殺害 | 推古天皇の死後、皇位継承争いが起こる。 田村皇子を擁立しようとする蘇我蝦夷が、山背大兄王を推す叔父の 摩理勢を殺す。それで、田村皇子が即位し、舒明天皇となる。 |
643 (皇極2) | 山背大兄王の死 | 蘇我入鹿が、山背大兄王を斑鳩宮に襲撃する。王の一族は自決。 |
645 (大化1) | 乙巳の変 | 中大兄皇子、蘇我倉山田石川麻呂、中臣鎌足らの「改新派」が 蘇我入鹿を宮廷で殺害。その父の蝦夷は、兵を向けられ、 邸に火を放って自決。 この後、軽皇子が即位し孝徳天皇となる。 皇位継承者が中大兄皇子ではなく軽皇子(孝徳天皇)になったのは、 鎌足の考えによる。 |
645 (大化1) | 古人皇子の変 | 古人皇子に謀反の疑いがかかり、一族もろとも滅ぼされる。 古人皇子は入鹿の従兄にあたり、蘇我氏とのつながりが深かった。 |
649 (大化5) | 蘇我倉山田石川麻呂の横死 | 右大臣蘇我石川麻呂に謀反の疑いがかかり、討伐軍が出る。 石川麻呂とその子の興志は山田寺で自害。 そのすぐ前に、左大臣阿倍臣内麻呂が歿している。 |
654 (白雉5) | 孝徳天皇歿 | 前年、中大兄皇子が政府を飛鳥に戻してしまったために、 孝徳天皇は難波宮で孤立していた。 この後、皇極天皇が重祚して斉明天皇となる。 |
658 (斉明4) | 有間皇子の変 | 孝徳天皇の子である有間の皇子が謀反を企てたとして、絞首刑になる。 蘇我赤兄の謀略に引っ掛かったように見える。 |
672 | 壬申の乱 | 天智天皇死後の皇位継承をめぐる内乱。大友皇子と大海人皇子との戦い。 重臣も真っ二つに分かれる。たとえば、蘇我氏では、赤兄は大友皇子の側、 安麻呂は大海人皇子の側についたようである。 |
本書も壬申の乱開始をもって記述を終わっている。
ところで、蘇我入鹿に関する本書の見方は以下の通りである。 日本書紀では蘇我入鹿を悪し様に書いてあるけれども、 入鹿は実際はそんな悪者ではなかっただろうとしている(p.28)。 ただし、「鎌足伝」にある記述で、ある僧が 「吾が堂に入る者、宗我大郎(入鹿)に如(し)くはなし」と していあるのを、上記の NHK スペシャルでは 素直に入鹿の優秀さを表す言葉としていたのに対し、 本書ではそのまま史実とは言えないと書いてある (p.29) 。 これは、歴史観が最近変わったことを反映しているのだろう。 とはいえ、冷静に見れば、最近確実になってきていることは、 日本書紀の捏造部分がはっきりしてきたということだけで、 どの程度入鹿を持ち上げて良いのかは不明かもしれない。