元禄御畳奉行の日記 ― 尾張藩士の見た浮世

神坂次郎著
中公新書 740、中央公論社
刊行:1984/09/25
名古屋池下の古本屋 BOOK OFF 名古屋池下店で購入
読了日:2007/01/28

尾張藩士が書いた「鸚鵡籠中記」という日記があるということは どこかで聞いたことがあった。たまたま古本屋でそれについて書いた本が あることを見つけたので早速買った。元禄の頃、朝日文左衛門重章 という武士(下級公務員みたいなもの)がいて、18 歳から始めて 45 歳で死ぬ前年まで 26 年と 8 ヶ月にわたって延々書き続けられた 日記である。世の中にはすごい記録魔がいるものだ。 その内容を紹介しているのがこの本である。

その内容は実に面白い。著者のまとめかたがうまいということもあるのだろう。 江戸時代の地方公務員のふつうの暮らしが書かれていて、 実に人間臭い。昔も今もいろんな人間模様があったのだということがよくわかる。 いくつかの web pages によれば、この新書は出版当時良く売れたそうだ [たとえば、糸魚川市民図書館のページの 「 ベストセラーの20年」によると 1985 年の第8位になっている]。 私は記憶にない。が、BOOK OFF で売られているということは、良く売れたもの だったのだろう。

紹介されている順番で最初から見て行こう。

文左衛門は 18 歳の頃から、いろいろな武術に入門してはすぐに飽きて 次に移る。弓術道場のお嬢さんに惚れて結婚する。結婚パーティは 自宅やら親戚宅やらで連続 4 日間に渡った。4 日目には宴会で泥酔。父親の 後を継ぐのが大変で、父親に引退させるのが第一関門、次に役所から 許可をもらうのに半年くらい、最後に藩主へのお目見えの機会を得るのに 半年以上、その間お城に通い詰めないといけない。で、ようやく 22 歳の 正月に初出仕。それは 9 日に 1 度、城の警備係をするというもので、 けっこう暇な商売だったらしい。仕事自体もけっこうのんびりしていて、 警備係の 3 人組で交替で弁当を持ってきて、毎回宴会をしていた。 酒はふだんも良く飲んでいたようで、吐くほど飲んで後悔した、なんていう文が たびたびでてくる。

文左衛門の趣味は芝居(人形浄瑠璃や歌舞伎、能)見物だった。 でも武士なので大っぴらには行けないから、 こそこそ潜り込んでいたらしい。マメに日記をつける人だけあって、 読書好きで、文学サークルの一員でもあった。小出晦哲には漢学を習い、 文人の天野源蔵(信景)は生涯の友人であった。 釣りも好きだったらしい。生類憐れみの令が出ていたにもかかわらず、 取締りが江戸よりも厳重ではなかったせいもあって、 隠れて釣りやら投網やらを楽しんでいる。

文左衛門は 27 歳のときちょっと出世して御畳奉行(用度課長くらい)になる。 給料 up で、住まいも東区百人町のあたりから東区主税(ちから)町のあたりへと 中心部に近づく。しかしそのころから嫁さんが悋気でヒステリックになっていって 32 歳のときに離婚。後妻を迎えるものの二人目の嫁さんもやっぱり ヒステリックで嫉妬深い。妾を作ったので事態はさらに悪化する。 おかげで深酒が増える。

仕事の楽しみは、手下付きの公用出張。上方に生涯で4回出かけている。 畳商人による接待がすごくて、料亭、芝居、遊郭と連日豪遊している。 第1回目の出張では、上方(京と大坂)での滞在が1ヶ月を超えていて、 その間の日記に書いてあることはほぼ遊びと観光のことばかりらしい。

ワイドショー的話題も公務員だから情報がわりと入るのであろうか、 たくさん書き留めている。もちろん文左衛門本人がこういう話題が 大好きだったみたいで、わざわざ集めている様子も見られる。 自殺、刃傷、博奕、不倫、密通、心中、泥棒、詐欺、贋金製造、処刑、殺人、 奇妙な噂話等々。

とくに、色情話の極め付けは、藩主吉通の母の本寿院が 男を取り替え引き替え連れ込んでいるという話である。 色好みが余りにも目に余ったので、本寿院は結局幽閉させられてしまう。 心中は、当時けっこう流行していたらしく、文左衛門本人も3度遭遇している (わざわざ出向いてもいるようだが)。最近は、インターネットのせいで 自殺流行なんていう話もあるけれど、ネットがなくてもそういう風聞があると やっぱり流行してしまうものらしい。もちろんこういう言い方は少し軽薄で、 当時の社会システムの中では心中に追い込まれることもやむを得なかった部分も ありそうである。今の基準で言えば、刑罰が重すぎたり、 社会的制裁が大きすぎたりするので、すぐに追い詰められたのかもしれない。

元禄も後半になってくると、経済状況が悪くなってきて、 格差社会で苦しむ人も多かったらしい。とくに下級武士と農民が 苦しかった。そのため、餓死、自殺、夜逃げなどが多発した。 現在の格差社会もこの時代ほどではないにせよ、生活が困窮すると 自殺が増えるというのはいつの時代も変わらないものである。

文左衛門は、結局酒の飲み過ぎが祟って 45 歳で死ぬ。 著者はそれを「文左衛門の最期は莫(さび)しい」と書いているけれど、 しかし一藩士の死などもともとさびしいのが珍しくなかったのでは なかろうかと思う。

読んでいて気付いたことがある。引用されている文の中によく分からない単語が けっこうある。著者も書いている通りこの中には文左衛門が自分だけしか わからないように暗号のように書いた単語もあるのだが、そうでなくて どうやら江戸時代の常識に類するものもあるようだ。説明が全部付けて あるわけではないので想像するしかない。そういう単語は、電子辞書 (広辞苑と旺文社古語辞典)を引いてもインターネット検索しても出てこない。 その意味では、主な外国語を読むよりも読むのが困難である。 そのような単語には本文中でいちいちもう少し説明を加えて欲しかった。


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