チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代
中村紘子著
中央公論社
刊行:1988/11/07
名古屋桜山の古本屋「一二三館書店」瑞穂通店で購入
読了日:2007/07/21
これが「中央公論」に連載されていたのは、僕が学生の頃で、
大学図書館でこの連載を良く読んでいたのを思い出す。
実際、今読んでみて、まだ内容を覚えていた箇所が何ヵ所もあった。
昨晩は金曜夜だったので、つい気が緩んで、買ってあったこの本を
ほぼ一気に読了してしまった。コンクールの進行の様子と共に、
著者が音楽の世界について思索をめぐらしていて、それらが相俟って
実に面白く読める。どんなふうにして審査が進んでいくのかが
生き生きと描かれているし、コンクールの功罪についてもいろいろ
考えさせられる。
連載当時、印象的で今でも覚えていたことには、たとえば以下のようなことがある。
- 第1回チャイコフスキー・コンクールの優勝者のヴァン・クライバーンは、
スーパースターになってしまったがために体も心もズタズタになって
潰れていってしまった。
- 日本のピアニストには、「井口派」の教授法である
「ハイ・フィンガー」奏法の影響が残っていて、そのために
音質が悪くなっている。「ハイ・フィンガー」奏法では、
指先を鍵盤に上から叩き付ける。姿は熱演ぽく見えるけど、表現力に乏しい。
実際、むかし僕の実家にあったピアノ教則本に載っていたピアノを弾くときの
指の形の基本形も、手を卵の形に丸めると書いてあったような気がするから、
「ハイ・フィンガー」であったのだろう。
- 岡田博美氏の演奏はミスが少なくある意味での完成度が高い。にもかかわらず、
第二次予選で落ちてしまった。「コンセルヴァトワール」的基準で言えば、
ロマン派的振幅が足りない。でも、それは価値観の選択の問題ではなかろうか?
今回気付いたこととしては、リーズ・コンクールの話題が出ていたことだ。
僕が 7 年前にリーズにいたとき、大学でコンクールが行われていたらしいことは
知っていたが、そんなに有名なコンクールだとは知らなかったので、
聴きに行かなかった。今思えば、惜しいことをした。
この本の主題となっている第8回チャイコフスキー・コンクール (1986 年) から
もう二十年以上も経ってしまった。その間に、ソ連は崩壊し、
チャイコフスキー・コンクールの権威は落ちたようである。
一方で、この本の記述だとしばらく出そうになかった
ピアノ部門での日本人優勝者が 2002 年に出た。
今年 2007 年は、何とトヨタがスポンサーとなって、
1年遅れでコンクールが開催された。
というようなことで、チャイコフスキー・コンクールも世界情勢に
翻弄されているように見受けられる。