奇想の系譜 又兵衛―国芳

辻惟雄著
ちくま学芸文庫 ツ 7 1、筑摩書房
刊行:2004/09/10
文庫の元になった単行本:1988/06/10 ペリカン社から刊行された新版
その元の単行本:1970 年美術出版社刊
その元となった連載:1968 年、「美術手帖」7 月号から 12 月号連載 「奇想の系譜―江戸時代のアヴァンギャルド」
名古屋栄のあおい書店名古屋本店で購入
読了日:2007/01/13

これに付随して

蘆雪を殺す

司馬遼太郎著
in 短編集「最後の伊賀者」
講談社文庫 し 1 19、講談社
刊行:1986/11/15
「蘆雪を殺す」の初出:1965/01 「オール読物」に掲載
古本を買ったか廃棄してあったものを拾ったかのどちらか(忘れた)
読了日:2007/01/12

以下、主として「奇想の系譜」の読書メモ。付随的に「蘆雪を殺す」の紹介。

「奇想の系譜」は前に読んだ 「ギョッとする江戸の絵画」 の元になった本。「ギョッとする江戸の絵画」と内容的にかなり重複する。ただし、 「ギョッとする江戸の絵画」は NHK テレビ番組テキストだから内容を絞ってあり、 こちらはそれよりも詳しい。本書の元の出版が古いからといって、 内容的に「ギョッとする江戸の絵画」がそれほど新しくなっているわけでも ないようだ。それほど研究の進歩があるわけではないということか? あるいは、「奇想の系譜」がかなり力を入れて書かれたので、その時点で ほぼ研究が完成したということか?

最初の連載が出た当初はほとんど知られていなかった江戸時代の個性的な6人の画家、 岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳が紹介されている。 日本画と言うと品は良いけどつまらないと思っていた私にとっては、 これらの絵との出会いはまさに目から鱗を落とさせてくれた。

2007/01/08 三重県立美術館で 蕭白6点と又兵衛1点の実物にお目にかかる機会があったので、 その感想も加えて書いてゆく。こういった絵は、印刷だとメリハリが なくなってしまっているのに対し、実物は強いコントラストで 強烈な印象を与えてくれる。 蕭白は、三重県立美術館のコレクションの中のものらしいが、いつ行っても 見られるわけではないのが全く残念な代物である。 蕭白は、三重県にも多くの作品を残しているということから、 三重県立美術館のコレクションの中に入っている。

憂世と浮世―岩佐又兵衛
絢爛としているけど、凄惨で卑俗という絵巻物「山中常磐」「堀江物語」 「上瑠璃」の3作から紹介されている。これらの作品の内容の野卑さから、 これらが又兵衛作品ではないという議論もあったようだが、筆者は 又兵衛を中心とする絵の工房の作品だと推定している。この本では その理由も図版付きで丁寧に説明されている。
三重県立美術館で見たのは、「堀江物語絵巻」の一部である。 凄惨な場面ではなかったものの、実物は思っていたより派手で色鮮やかで 細かく描き込まれているのが印象的だった。
「ギョッとする江戸の絵画」の方で訂正されていたことが1つ。 越前松平家の忠直の後を継いだ忠昌を、本書では「忠直の甥」と書いてあったが、 「ギョッとする江戸の絵画」では正しく「忠直の弟」に直してある。
桃山の巨木の痙攣―狩野山雪
狩野派なのだが、形態から豪放さが減って、むしろ水平とか垂直とか 斜め45度とかいった整った形への指向が入り混じることで、 樹や石が奇妙に捩じ曲がり、シュールレアリスティックな静けさを たたえるに至った絵を描いている。
幻想の博物誌―伊藤若冲
丁寧な動植物観察に基づいて、華麗で細密な動植物画を描いた。 単純な写生ではない。むしろ、最後の方に書かれている通り、アンリ・ルソーを 連想させるような童心が感じられるところが素晴らしい点だ。 点描を用いた絵があったりして、独特の几帳面な技巧を用いている。
「ギョッとする江戸の絵画」の方では、 こちらの本にはまだ出ていない傑作がいくつか紹介されている。 そのうちの2つをここに記しておく。 ひとつは、プライスコレクションの「鳥獣草木図屏風」である。小さなタイル状の 格子の上に絵を描くという独創的な技法で、想像上の動物が自由に描かれている 大作。もうひとつは、「菜蟲譜」(佐野市立吉澤記念美術館蔵)という 野菜や虫を愛らしく配した作品。人気が高まってきたために、いろいろな作品が 見つかってきたのであろう。
狂気の里の仙人たち―曾我蕭白
豪快さと繊細さの同居、人物の表情の気味悪さなどで群を抜く個性の輝きを放つ。
ここでは何より三重県立美術館で見た実物の感想を書いておく。 まず、実物では、印刷の写真よりは墨の濃淡のコントラストがはっきり見える。 蕭白の墨の濃淡の使い方の大胆さがはっきりわかった。それから、実物は 襖絵と屏風絵だったのでかなり大きくて迫力がある。木や岩は、大胆な 筆捌きで描かれている。殊に 「松に孔雀図」 の右側の木はほとんど動物のようである。それに対するに、鳥はこの「松に 孔雀図」の孔雀をはじめとして細密な描写で描かれている。 このコントラストの大胆さは写真より実物の方がはっきりする。 人物の表情の奇矯さは本で紹介されている通りである。 このように自在で個性的な絵を江戸時代に描いた人は、北斎と双璧とも 言えるのではなかろうか。
「ギョッとする江戸の絵画」の方で新しくなっていることに気付いたことが2点 ある。 (1)「群仙図屏風」の左隻右側の人物を、 本書では「鬼子母神をヒゲ面の男に見立てた」と書いてあるのに対し、 「ギョッとする江戸の絵画」では「おそらく 林和靖(りんなせい)でしょうが」そしてある。美術館で見た 「林和靖図屏風」の林和靖と 似ている感じもするので、林和靖がたぶん正しいのであろう。 (2) 蕭白の父親が、本書では単に「丹波屋を屋号とする」としてあるのに対し、 「ギョッとする江戸の絵画」では「丹波屋吉右衛門といい、紺屋だったと いわれています」と書いてある。この間の研究の進歩だろうか?
鳥獣悪戯―長沢蘆雪
才気溢れる人で、円山応挙に入門して完璧に師の技法をマスターしちゃったの だけれど、それでは飽き足らずに大胆で生き生きした絵を描くように なってしまったようだ。でも、蕭白ほどにはブッ飛ぶことはなかった。 それでも、才能が高すぎて反感を買うこともあったようだと推測されている。
司馬遼太郎に「蘆雪を殺す」という短編がある。ずっと昔に一度 読んだはずだが、全く忘れていたので読み返してみた。絵に関しては自信家で 奔放でありながら、性格には臆病なところもある変わった人として描かれている。 蘆雪は比較的若くして突然死んだ。辻が書いているように、 性格的に敵を作りやすかったらしいので、毒殺説まである。 司馬の「蘆雪を殺す」では、蘆雪は食中毒で急死するのだが、蘆雪本人は 自分が命を狙われていて毒を盛られたのだと信じて死んでゆくということに なっている。ともかく、自信家でいかにも芸術家肌の画家として興味深い人物で あったようだ。
幕末怪猫変化―歌川国芳
いろいろな要素の入った絵を闊達に描いた人。西洋画の技法を取り入れてみたり、 機知に富んだ戯画を描いてみたりと活躍。当時禁止されていた幕政の風刺も、 昔の物語を使って表面上は風刺とは関係ないものにすることで牢屋入りを 免れるなど、度胸もあり機転が利いている。
[2007/02/04 追記] 中山道広重美術館(恵那市)で、国芳の「木曽街道 六十九次之内」の展示を見た。宿場名から連想される芝居や伝説の一場面を 描いたもの。宿場名とかけるというのが、いかにも国芳らしいのだが、 いかんせん当時の常識を知らないので、どこが洒落になっているのか よくわからない。解説を読んで納得するものもあるのだが、解説に ちゃんと書いていなくてよくわからないのもある。こういう戯画の要素がある ものは、時代の常識がないと十分には楽しめないのが残念。 絵の構図はまさにいかにも芝居がかっていて、それはそれなりに楽しめるのだ けれど。