誤解された仏教
秋月龍みん(王へんに民)著
講談社学術文庫 1778, 講談社
刊行:2006/09/10
文庫の元になった単行本:1993 年柏樹社刊「誤解だらけの仏教―「新大乗」運動の一環として」
名大生協で購入
読了:2008/01/04
本書は、仏教に関してしばしば語られている誤りを正そうというものである。あまり読みやすくはない。
というのも、いきなり難しい仏教用語が出てきてみたり、同じことが何度も繰り返されていたりして、
ともかく体系的ではないからである。でもまあ、同じことの繰り返しが多いので、結局何を言いたいのかは
おおむねよくわかる。一言で要約すれば、「無我の我を覚ることを目指すのが仏教である」ということになる。
なお、「無我の我」は、覚るものであって、理論で理解するものではないから、それが何であるかを論理的に
語ってはいない。
著者の考えでは、正当な仏教は
初期仏教――大乗の「空」思想――禅
という系譜でつながるものである。そこで、坐禅を通じて、「無我の我」や「空」といったことを
覚ることが、仏教の本筋ということになる。ただし、面白いのは、これと対照的な親鸞教(浄土真宗)を
否定していないことだ。親鸞教は、阿弥陀仏への絶対帰依による救済を求めるものであり、キリスト教に
近いといって良い。しかし、それでも著者は、禅宗と親鸞教とに同じ仏教としての共通点を見出す。
禅では、「戒(戒律)・定(禅定)・慧(智慧)」の三学を実践して、「無我」を覚る。一方で、
親鸞教では、ひたすら阿弥陀仏を信じることによって「無我」になる。その無我に至ることによって、
法(ダンマ)が姿を露わす、というわけである。そして、蓮如の「仏法には<無我>にて候」という言葉が
何度も引用される。
本書で何を書いてあるかをもう少し詳しくまとめるには、各章の表題を書いておけばよい。つまり、
目次を見ればわかる。
- 仏教は「無霊魂論」である
- 仏教は本来葬式・法事に関わらない
- 仏教は「輪廻」説をどう考えたか
- 「輪廻」説をどう超えるか
- 仏教は「無神論」である
- 「梵我一如」説は仏教ではない
- なぜ「梵我一如」説は仏教でないか
- 正しい仏教は土着思想と対決する
- 仏教は「神秘主義」ではない
- 死者を「仏」と呼んではならない
- 釈迦牟尼は何を悟ったのか
- 真の仏教学は「三学」の学でなければならない
- 仏法のスローガン(法印=旗印=要約)
- 仏性論(如来蔵思想)は非仏説か
- 「覚り」(覚)の宗教と「救い」(信)の宗教
- まとめ―仏教は無神・無霊魂論である
- 後近代(ポスト・モダン)と無我
- 三学と念仏
- 「日本的霊性」の展開
- 「新大乗」を提唱する
要するに、仏教は、古代インド思想である「輪廻転生」やら「梵我一如」やらを否定するところから
出発しているということが強調されている。日本においては、仏教と古代インド思想が混ざって
流入してしまったために、それらがしばしば混同されている。さらに、日本においては、
仏教が葬式とあまりにも強く結び付いてしまったために、本来の姿が忘れられている。
これらを正すのが本書の主旨である。