タイの僧院にて

青木保著
中公文庫 あ 5 1、中央公論社
刊行:1979/02/10
文庫の元になったもの:1976/11 中央公論社刊
名古屋千種の古書店神無月書店で購入
読了:2008/03/17
タイに観光旅行に行ったので、行く前に何かタイの本を買おうと思っていたところ、 古本屋で見かけたので買ったもの。私は不勉強で、この本を読み始めて初めて知ったのだが、 著者は、今や文化庁長官になっている優れた文化人類学者であるらしい。 とはいえ、これを書いた当時は新進気鋭の学者ということで、筆の勢いにも若さが感じられて気持ち良い。 ついでにいえば、ネットを検索してみると、この本はタイ好きの人々にとっては基本文献の一つらしい。

この本は、著者がタイで6ヶ月間、僧として過ごした体験記である。読みだすと実に面白い。 この本が面白いのは、著者の学者としての視点と同時に、僧体験をしたことの個人的な感慨が素直に述べられている ところにある。本の最後で、還俗した後に流した涙の記述もドラマチックである。

私はいい知れぬ感動の中で全身で泣いていた。それは説明しようにも理由のつかぬ、 表現しようにも言葉のない感動であった。私のこれまでの生の中で、物心ついてからあのような訳のわからない 涙に泣きぬれたことはない。これが、僧修行のもたらした最大のものであった。
ここだけ読むと演出過剰に見えるかもしれないが、前から読んでいくと、著者とともに 感動を分かち合うことができるのである。

この本を読むと、タイにおいては仏教と土着信仰と社会とが分かちがたく結び付いていることがわかる。 タイにおいては、一般に広まっている以下の2つの考え方が僧の社会を支えている。 (1) タン・ブン、すなわち僧を助け寺に寄進することで徳を積むこと、によって サワン(地上天国)への道が開けるという考え。(2) タイ人の宇宙観の中にあるピィー(悪霊)を 僧が払ってくれるという考え。著者は、これらのことがらを肯定的にとらえている。 こういう観念があってこそ、タイの仏教社会が成立しているからである。 思うに、仏教は、そもそも土着信仰と結びつかないことには広まらないのではないか? 日本における神仏習合もそうであった。日本では、神仏が分離されて以来仏教は力を失い、 仏教とは本来無関係の葬式との結びつきよってのみ辛うじて命脈を保っている。 仏教は、欲望を捨て去るという俗人には到達しがたい目標を置くものだし、 きわめて深遠な形而上学を伴っているので、そのままの姿では一般人のための宗教とはなりえない。 そこで、仏教が伝来した土地では、土着の信仰と渾然一体となることで超俗と世俗を結ぶ紐帯ができ、それで初めて一般に広まることになる。


glossary

この本でひとつだけ読みにくいところは、索引もしくは用語集がないところである。 カタカナ語(つまりはタイ語)が頻出しているので、その語の説明を探し求めて 前の方をページを繰り直さないといけなくなることがよくあった。 カタカナ語の索引か用語集を付けて欲しかった。しょうがないので、以下に自分で用語集を作っておく。

(1) 仏教用語

クティ庫裡
サイ・バート施し
サマネーラ20歳未満の見習修行僧
サンガ仏教の僧組織
スヴォン僧の下衣
スワットモン読経
タマユット派(ニカイ)タイ仏教の2つの系統の一つ。厳格な修業を行う。
チェディ仏塔、パゴダ
チーオン黄衣。僧が着る衣
チャオクンタイの高位僧の階位名
デク僧の身の回りの世話をする小僧
テラワーダ小乗仏教、上座部仏教
ナーワコワーダ新入り僧への仏典と戒律の手引書
バアツ鉢。托鉢の時に持って行くもの
パンサー7月中旬から10月下旬にかけての雨季の3ヶ月間ワットにこもって修行する。 日本でいう雨安居(うあんご)に相当する。
ピンタバート托鉢
プラ
マハー派(ニカイ)タイ仏教の2つの系統の一つ。
ヨーム僧入りのためのスポンサー
ワイタイ式の両掌を顔の前で合わせて深く頭を下げる拝礼
ワットタイ式の仏教寺院

(2) 人名

アビロンド同僚のネパール人僧
カンティパーロ師イギリス人僧。厳しいが、ユーモアのセンスもある。
スソーバナ同僚のネパール人僧
チャオクン・テープ
パイチューン著者のヨーム
マハー・ニベー指導僧。暗記主義で教えてくれる。
ムックデク

(3) ワット・ポヴォニベーの構造

タムナク堂読経(スワットモン)をするお堂
マハマクート仏教大学隣接する仏教大学

(4) 一般語、知名など

コン・ジープン日本人
トンブリバンコクから見てチャオプラヤ川の対岸の都市