未知なる地底高熱生物圏

Thomas Gold 著、丸武志訳
大月書店
原題:The Deep Hot Biosphere
原出版社:Springer Verlag New York
原著刊行:1999
刊行:2000/09/20
名大生協で購入
読了:2008/06/07
著者は、常識からするとかなり過激な主張をしている。 地底には、地球の始まりから炭化水素類があって、それがじわじわと上がってきている。 そして、その炭化水素類を炭素源かつエネルギー源とする地底微生物生態系があるというものだ。 著者が、そう考えるようになったのは、石油・天然ガスの起源問題の考察に基づく。 石油の炭化水素は生物起源であるというのが定説である。だからこそ、石油は「化石燃料」と呼ばれる。 生物起源説の証拠には、生物起源としか思えない分子が入っているということがある。 一方で、以下に説明するように、地下深部起源であることを示す証拠もある。 その両方を解決するには、地下深部を起源とする炭化水素が、上昇の途中で地下の微生物と その生成物を捕まえたと考えれば良い。

著者は、石炭までも、非生物起源であるとしている(ただし、泥炭や亜炭は、はっきり生物起源なので、これは除く)。 石炭には、植物化石が含まれていることがあるせいで、定説は生物起源である。しかし、著者によれば、 化石は、むしろ上昇する炭化水素にたまたま取り込まれたものであると考えている。化石が石炭になっている ものがあるのは、珪化木ができるときのような置換が行われたと考えればよい。石炭が植物起源だとすると、 むしろなぜほんの一部の植物だけが化石になって、その他の周りにあったはずの植物の構造が跡形もなく 破壊されてしまったのか不思議であるとする。

実のところこの話の真偽は私にはわからない。地下にかなり大きな微生物生態系がありそうなことは 確かである。しかしながら、それらの広がりはいまだによくわかっていない。さらに、炭化水素が 地下にどのくらいあるかも、今のところはよくわかっていない。だから、これは信念の問題かもしれない。

スウェーデンの花崗岩地帯のシルヤン環状地(クレーター跡)で、掘削が行われ、炭化水素が 実際に採られた顛末が第 6 章に記されている。これはかなり説得力がある。ただし、磁鉄鉱を含むドロドロの物質に よって目詰まりが起こるせいで、商用にはならなかったとのことである。この磁鉄鉱は、地下微生物が 酸化鉄 (Fe2O3) を還元してできたというのが、著者の考えである。

私がこの説で最も疑問を感じる部分は、初期地球が高温にならなかったという仮定をしていることである。 これは、現在(少なくとも日本では)主流の地球形成シナリオに反している。 地球初期には、かなり大規模にマントルが融けたと考えられているからである。 しかし、高温だと、炭化水素が安定でなくなるので、この説が成り立たなくなる。 といっても、最近では初期地球の大気はかなり還元的であったという話が流行で、そうすると 炭化水素もひょっとすると高温で安定に存在できるかもしれない。ただし、このへんの熱力学は 私は詳しくないのでわからない。たぶんきちんと研究しないといけないと思う。

地下深くに始原的な炭化水素があるという説の証拠として挙げているもののうち、私に とくに関心があるのは、以下の4つである。私もこれらの問題は重要であると感じる。

第 7 章以下では、非常に興味深い関連問題が語られる。まずは、ダイヤモンドの起源問題である。 ダイヤモンドがあるということは、地下深くに還元型の炭素があるということと、そこから高速の (たぶん)ガス噴出に伴って地表に運ばれることの両方が必要である。著者は、その両方に炭化水素が かかわっていると考えている。次には、金属鉱床の起源の問題が語られる。通常、金属鉱床の生成には、 熱水がキャリアとなってかかわっていると考えられているが、著者は、炭化水素流体がキャリアだと主張している。 次に第 8 章では、地震の発生に炭化水素流体が関わっているという主張が述べられている。地震の発生に 流体として水が関わっているということなら、(少なくとも日本では)けっこう受け入れられているし、 むしろ流行の考え方であるくらいだが、炭化水素はほとんど考えられていない。しかし、一考に値するとは思う。 第 9 章では、(予想されるとおり)生命の起源が地下であるという主張がなされる。さらに、 当時の最先端の成果に興味をひかれたということだと思うが、遺伝子の水平移動の重要性が強調されている。 第 10 章では、地下からのガス流出と地下生物圏の検証の可能性と、惑星や衛星の地下生命探査の可能性について 語られる。


翻訳はまずまずのようである。おおむね読んで意味が通じる。しかし、全体的にあまりすらすら読めない。 さらに、ところどころ意味が通じないところがあって、そこは翻訳がまずいのではないかと思えるが、 わざわざ元の英語版に当たってみることまではしなかった。たとえば、巻末 4 章原注 (6) にはさっぱり 意味が取れない部分がある。