科学論序説 新パラダイムへのアプローチ

Harold I Brown 著、野家啓一・伊藤春樹共訳
培風館
原題:Perception, Theory and Commitment -- The New Philosophy of Science
原出版社:Precedent Publishing
原著刊行:1977
刊行:1985/05/10
名古屋桜山の古本屋「一二三館書店」瑞穂通店で購入
読了:2009/05/21
古本だからちょっと内容の古い科学哲学の本である。古本屋でつい買ってしまった。 本書の特徴は、科学哲学の歴史を、ラカトシュの「研究計画(research protram)」という枠組みで見てゆく というものである。つまり、科学哲学史を、一歩引いた立場で科学史を語るのと同様に語ってゆこうという ものである。そのことによって科学哲学の考え方が俯瞰的に見やすくなっている。 前半では、論理経験主義の研究計画がどのような意味で破綻しているのかを説明している。 後半では、クーンやラカトシュらの立場の説明である。

全10章のうち8章くらいまでは、これまでの科学哲学を著者の目からまとめたもので、 最後の9章、10章あたりが、著者の科学論が出ているところのようである。


以下、簡単なサマリー。

第 I 部(第1章から第5章)は論理経験主義という「研究計画」の説明で、 第 II 部(第6章から第10章)はその後の「革命」を経た後の クーンなどの「新科学哲学」という「研究計画」の説明である。

第1章 論理経験主義の起源
Whitehead and Russell の Principia Mathematica の成功を受けて、 それと同様に科学を再構成しようとしたのが、論理実証主義である。 すなわち、観察と論理のみから科学を再構成しようとした。 論理経験主義は、論理実証主義を穏健にしたものである。 科学法則は全称法則(すべての〜は〜だ)の形を取るので、観察命題の集合からは 完全には検証できない(未来のことまでは言えないはずなのに予言してしまっている)。 そこで、厳密な検証をあきらめて、少しずつ「確証」してゆくということに置き換えることにしたのが、 Carnap に始まる論理経験主義である。
後で見るように、論理経験主義の「研究計画」がうまくいかなくなる一つの大きな理由は、 Principia の論理学を用いたことにある。とくに「P⊃Q」を P が偽な場合には真になると定義したこと (実質含意 material implication)が問題を引き起こす。 論理学の作り方によっては、P が偽な場合は真理値を定義しないということもあり得た。
第2章 確証
Nicod は、(x)(Px⊃Qx) という形の法則は Pa・Qa という形の観察文で確証できるとした。 たとえば、「カラスは黒い」は「x がカラスであるならば、x は黒い」と言い換えて、 「カラスを一羽見つけて、それが黒い」ことを観察したならば「カラスは黒い」ことを確証できるとした。 しかし、これはいろいろな難点を引き起こす。 たとえば、(x)(Px⊃Qx) は (x)(〜Qx⊃〜Px) と同値だから 〜Qa・〜Pa で確証できるはずである。 それを「カラスは黒い」の例で言えば、「黄色い鉛筆がある」も「カラスは黒い」を確証できることに なってしまう。これはそういうものだと強弁することもできるが(Hempel はそうした)、 普通に考えるとおかしい。このような難点は、Principia 論理学が (1) 外延論理学(命題の内容を考慮せず、 真理値の関係のみを問題にする論理学)であることと、(2) 「P⊃Q」を P が偽な場合には真であると 定義したことから発している。
第3章 理論的用語
論理経験主義においては、最初、すべての理論的用語を観察言明から論理学で導かれる形に構成しようとした。 言い換えれば、科学的論述から理論的用語を消去し、科学を観察言明の間の関係を見出すだけのものにしようとした。 ところが、この試みは次々に後退を強いられた。第1の問題は、理論的用語の安定性である。 成功した科学理論は予測能力があるので、最初に構成された時には考慮されていなかった 新しい現象が後で観察されることになる。その観察によって最初に定義された理論的概念は再定義されねば ならないのだろうか?第二の問題は、定義が Sx≡(t)(Wst⊃Dxt) のような形を取ることから来る問題である。 たとえば、「xは水溶性である」ことを「xがtの時点で水に浸されるならば、xはtの時点で溶ける」と定義する。 すると、前段 Wst(水に浸される)が満たされないときに全体が真になってしまうとはどういうことか? という問題が出る。Carnap は「還元文」というテクニックでこの問題を回避したが、これは最初の 目論見からは後退していて、理論的用語を観察言明で過不足なく定義したことにはなっていない。 最近では、経験主義者はさらに後退している。たとえば、Feigl は、「公準によって関係付けられた 原子概念群」―「そこから定義された概念群」―[対応規則]―「経験的概念」―「経験」 という図式化をしている。しかしながら、これもうまくいっていない。科学の歴史を見ると、 対応規則に相当するものは時とともに変わるものなので(たとえば、「時間」がどのように 定義され観測されてきたかの歴史を見るとわかる)、論理経験主義の考え方の枠組みでは「規則」とは 言えないものだからである。
第4章 説明
論理経験主義における説明の3つの側面について解説する。第1は、演繹的説明について、第2は、 統計的説明について、第3は、理論の拡張的発展についてである。
[1] Hempel and Oppenheim は、説明とは、 「前件的条件 C、一般法則 L ⊃ 説明されるべき経験的現象 E」 の形をしているものだとした。ところが、C の中に E が入っているようなものを考えると、 L と E が無関係でも、形式的には上の論理モデルが真になってしまう。そこで、Hempel and Oppenheim は、 C は E と独立に立証できることを要請した。さらに、説明と予測とを同一視した。しかし、これは 行きすぎであろう。第1に、説明できるが予測できないことが存在する。たとえば、進行麻痺の原因は 梅毒であることが分かっているが、梅毒になったからといって進行麻痺になるとは限らないとする。 すると、ある人が進行麻痺になったのは梅毒のせいだと「説明」できるが、梅毒になったからといって 進行麻痺になるかどうかは「予測」できない。第2に、予測できるが説明できないこともある。A が起こると B がいつもおこるならば、A が起こったとき B を「予測」できる。しかし、A と B の間をつなぐ理論がなければ、 A は B の説明にならない。
[2] 統計的な法則からの推論は、演繹的説明となじみが悪い。
[3] ガリレオの法則、ケプラーの法則とニュートンの法則の関係をどう考えるべきか? 論理経験主義者は、ニュートンの法則はガリレオの法則やケプラーの法則を含むとしている。 しかし、厳密に言えば、ニュートンの法則からガリレオの法則やケプラーの法則を演繹することはできない。 問題はこうである。論理経験主義者は、厳密な論理学を使うので、現在の科学をある程度でも信用するならば、 現在の科学の多くの部分は真なる命題からできており、そのような真なる知識は歴史とともに蓄積されて きているという歴史観に立たざるを得ない。そうでなければ、現在の科学は、論理的にはおおむね偽である ということになってしまうからである。一方で、科学の歴史を眺めれば、科学の知識は何度も覆されてきている。 そもそも Principia 論理学を使った科学の科学の厳密な再構成という論理経験主義の研究計画に無理がある。
第5章 反証
Popper の反証主義の紹介。Popper は、論理経験主義から新科学哲学への過渡的な位置を占める。 まず、反証主義を紹介し、次いでその問題点が明らかにする。
[1] 反証主義を紹介する。Popper によれば、科学の境界設定は、反証可能性によって なされる。反証可能な命題のみが科学であるとする。科学の理論は、(∀x) (Px) のような全称命題である。 有限の証拠ではこれを証明することはできない。しかし、この命題と 〜(∃x) (〜Px) は同値だから、 その理論は 〜Pa という実例が一つあれば反証される。だから、理論の反証は可能である。 そこで、科学は、推測によって理論を作り、それを反証しようとする試み(推測と論駁)からなるというように、 論理的に再構成される。Popper は演繹論理学だけを使うという意味で、論理経験主義の伝統に乗っている。
[2] Popper によれば、反証は、基礎言明(個別的な観測事実)によってなされる。ところが、実験結果は 常に疑いうるので、厳密な反証は不可能である。さらに、基礎言明は言明(文)であるわけだが、 経験(実験や観測など)と言明との関係は、不鮮明である。加えて、基礎言明が科学的言明であるならば、 反証可能でなければならないのだが、その位置付けがあいまいである。Popper 自身は、基礎言明を 受け入れるかどうかは、科学者たちの「決断」によるとしている。
第6章 知覚と理論
論理経験主義に置いては、理論と経験的事実とははっきりと区別されるものであった。 ところが、実際は、観察は理論に依存しており、「純粋な事実」などありえない。 このことを、観察は理論負荷的 (theory-laden) であるという。 知識となるのは、観察された状況の「意味」である。 情報を持たない観察者には、観察はいかなる意味も持たない。
ここから派生する3つの問題を議論する。(1) 経験主義では、経験と観察文の関係は明らかではない。 しかし、われわれの立場では、観察するのも文を読む時に理解するのもどちらも「意味」であることから、 両者の logical type は同じである。(2) 観察が理論負荷的であるということは、二人の人は 同じものを見ていても違うものとして見るということがあるということである。だとすると、 そもそもその二人は同じものを見ているとどうして言えるのだろうか?それは、同一性の判断は 当該対象以外の全状況に関する判断だからである。(3) 観察が理論負荷的であれば、観察は理論のテストに 使えないのではないだろうか?という批判がある。しかし、観察は理論「だけ」で決定されるのではない。 同じ絵がアヒルに見えたりウサギに見えたりすることはあるかもしれないが、それが東京タワーに見えることはない。 それを踏まえた上で、理論の優劣をどう判断するのかという問題は残る。それをこれから考えてゆく。
第7章 諸前提
理論に反例があっても、理論は否定されない。その反例は、解決されるべき研究課題になるのが普通である。 Kuhn は、このような科学を「通常科学」と呼んだ。科学研究には、前提とされていることがある。 たとえば、ニュートン力学の文脈で研究をしている科学者にとってのニュートンの法則がそうである。 ニュートンの法則は、分析的命題ではない。しかし、経験的にすぐに反駁されることがないという意味で、ふつうの 経験的命題でもない。たとえば、ある科学者が原因不明の非慣性運動を見出したとすれば、 彼はニュートンの法則を疑うのではなく、まず原因となる力を探し求めるであろう。このような 前提となる命題を「パラダイム的命題」と呼ぶことにする。前提が誤っている可能性はある。 変則的事象が手に負えないほどになると、科学革命が起こる。
第8章 科学革命
科学革命の例として、コペルニクス革命と相対性理論を見てゆく。
[1] 中世の人々は、地上界と天上界とは全く異なる法則が支配していると考えていた。 地上界は、火、空気、水、土の4つの元素から成り、それらは本来の場所へと運動しようとする。 天上界は、エーテルと呼ばれる元素から成り、円運動が自然な運動である。 コペルニクスは、地球を天体の一つとすることによって、この地上界と天上界との違いを廃止した。 ガリレオは、物体の自然な運動を円運動であるとすることによって、地上界と天上界との違いをまたひとつ消した。 ニュートンに至って、地上界と天上界とが完全に一つにまとめられた。こういった革命の間に、 「惑星」や「重さ」などの概念は変貌した。科学の理論に置いては、法則(命題)と そこで使われている用語とその概念とは切り離すことができない。科学の理論はネットワークを形成しており、 それを構成する糸が命題、結び目が概念であり、観察もそのネットワークに組み込まれている。
[2] 相対性理論も革命である。相対性理論は、ニュートン力学を一般化したと見るのは誤りである。 時間の概念や質量の概念は根本的に変わったのである。運動量とエネルギーは4元ベクトルとして一組になり、 質量はエネルギーと等価になった。
第9章 発見
論理経験主義においては、発見の文脈と正当化の文脈を区別し、認識論(知識の論理学)は正当化の文脈にしか 関心がないものとした。しかし、発見とテストはそんなにはっきり区別できないし、論理学は機械的な規則に のみ関わるものでもない。論理学を必然的関係に限定する必要はないから、発見の論理学はありうる。 私(著者)は、弁証法的論理学を考えることにする。合理的な論争には、論者が共通して持っている諸前提がある。 前提を疑うとしても、疑われるのは一部の特定の前提だけである。弁証法的論理学においては、 命題や問いを、諸前提や諸問題からなる構造的体系の一部として扱う。弁証法的論理学は、形式的論理学ではなく、 命題の内容を扱う。われわれは、科学を再構成するのではなく、現実の科学の発見と発展を分析する。
研究は、その当時の理論的枠組みの中で行われる。コペルニクスでも、円運動の原理を保持し続けた。 地動説は昔からあったもので、コペルニクスが発明したものではない。コペルニクスが偉大だったのは、 不可能と考えられていた仮説を断固として詳細に展開したことにある。 アインシュタイイン以前にも、ポアンカレは新しい力学を示唆していたし、ラーモアは時間遅れの公式を提起していた。 アインシュタインが偉大だったのは、直感に反しているような仮説を徹底的に追及して新しい物理学を造ったことにある。
科学革命が起こるとき、新しい理論と古い理論とは根本的に違うのだとすると、その2つはどうして比較できるのか? という問題がある。しかし、新しい理論が現れるときには、古い理論の文脈が残っている。それが、 両方の理論で合理的な論争を可能にする土台となる。それが弁証法的論理学と私(著者)が称しているものである。たとえば、 相対性理論は、力学だけ見ていると極めて革新的に見えるが、アインシュタインは電磁気学を出発点にしていた。 マクスウェルの方程式という土台を通じて、それ以前の物理学と相対論的物理学はつながっているのである。 さらに、ニュートン物理学においても相対論的物理学においても、定量的な予測能力がテストになるという 前提を受け入れているので、両者が予測する量を比較することが可能である。ガリレオの時代には、 物理学はそもそも定量的なものだとは思われていなかったので、その点ではアリストテレス力学と 比べることができなかった。しかし、どちらも、石がまっすぐに落ちる、ということを説明できなければ ならないと考えるという点では一致していた。円運動が自然な運動であると考えていた点でも一致していた。
第10章 新しい認識論へ向けて
伝統的には、「知識」は真なる命題を指していた。そこで、認識論は、疑いえない出発点の探究と、 間違いのない推論の探究から成っていた。しかし、これまで見てきたように、このような探究は失敗する。 合理的思考というのは、機械的なアルゴリズムに従うことではなく、洞察力のある科学者が熟慮すること なのである。さらに、ある理論が科学の体系に組み込まれるかどうかは、研究者の共同体が決める。 もちろん共同体が間違えることもあるが、自己修正の能力を持っている。科学的知識は、真ではないかも しれないが、理性的な合意である。純粋に客観的ではないかもしれないが、間主観的にテストされる。 そして、テストにおいて比較される実在世界は、科学者の理論からは独立に存在しているという意味で 客観的である。
科学哲学は、歴史を振り返って、科学的手続きに関する勧告を行うことはできそうである。 これは単に歴史を記載することではない。緩い意味での規範を与えることになる。 ただし、絶対的な判断基準はないのだから、現在の科学的合意という視点から行わなければならない。 そういう見方では、ルイセンコ学説は科学的な合意が無かったと言えるし、ヴェリコフスキーの 「衝突する宇宙」に対する中傷は度を越していたと言える。
科学哲学も科学と同様に弁証法的に発展する。