第2章は、比較したり論争したりしてもしかたがない、こだわってはいけないという教えについて。 第3章は、瞑想によってとらわれを無くし、世界と自己とを一体化するという教えについて。 第4章は、修業を通して執着を捨てることについて。最後に引用されているお経の文句はこうである。
貪りと怒りと愚かさを捨て、もろもろのしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、 犀の角のようにただ独りで歩め (74)これはいかにもブッダらしい感じがする。
以下には、第1章でおかしいと思った部分を挙げておく。
(1) 価値観や世界観の総体を「コスモロジー」と呼んでいる (p.14) 。そう呼ぶのは勝手といえば勝手だけれど、 単に「世界観」とか「宇宙観」と言ってしまって何がいけないのか不明。
(2) コスモロジーなどという科学っぽい言葉を使っている割に、科学知らず、科学嫌いを露呈して、 近代科学のコスモロジーは虚しいなどということを平気で書いている (pp.15-20)。 科学が、人間は物質の組み合わせであると言っているとしても、「単なる」物質の組み合わせだと 言っているなどということはありえない。これは、科学嫌いな人が逃避のために使う勝手な非難にすぎない。
(3) 「輪廻転生」と「死んだら終わり」という考え方を比較して、前者の方が良い生き方につながり、 後者の方では人生がさびしいと書いている (pp.30-31)。仏教は、そもそもインド哲学の伝統である 「輪廻転生」の考え方の束縛からの方向転換をはかるものではないのか?それを単純に 「輪廻転生」と「死んだら終わり」の二分法で語って前者を良しとするのは、仏教に反するように思える。