スッタニパータ さわやかに、生きる、死ぬ

羽矢辰夫著(シリーズ責任編集:前田專學)
シリーズ 仏典のエッセンス、日本放送出版協会
刊行:2007/01/25
千葉稲毛海岸の古本屋 BOOK LIBRE で購入
読了:2009/06/20
古本屋でちょっと見かけて買ってしまったわけだが、中身はいま一つ。 とくに第1章で著者が科学嫌いを表明しているおかげで、以後素直に読めなくなってしまった。 紹介されているお経の中の言葉はなるほどなるほどと思っても、解説が 私が知っている仏教の考え方と違っている部分があって(もちろん私はあんまり仏教を知らないので、 私の間違いかもしれないが)、おかしいと思った。第2章以後はそれほどひどくもなくて、 なるほどと思う部分もある。とはいえ、スッタニパータのような経典は、解説など読まず 経典そのものを読んだ方が良さそうである。解説が付くとかえって理屈っぽくておかしくなるようだ。 いずれそのうち経典の方を読んでみたいと思った。

第2章は、比較したり論争したりしてもしかたがない、こだわってはいけないという教えについて。 第3章は、瞑想によってとらわれを無くし、世界と自己とを一体化するという教えについて。 第4章は、修業を通して執着を捨てることについて。最後に引用されているお経の文句はこうである。

貪りと怒りと愚かさを捨て、もろもろのしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、 犀の角のようにただ独りで歩め (74)
これはいかにもブッダらしい感じがする。

以下には、第1章でおかしいと思った部分を挙げておく。

(1) 価値観や世界観の総体を「コスモロジー」と呼んでいる (p.14) 。そう呼ぶのは勝手といえば勝手だけれど、 単に「世界観」とか「宇宙観」と言ってしまって何がいけないのか不明。

(2) コスモロジーなどという科学っぽい言葉を使っている割に、科学知らず、科学嫌いを露呈して、 近代科学のコスモロジーは虚しいなどということを平気で書いている (pp.15-20)。 科学が、人間は物質の組み合わせであると言っているとしても、「単なる」物質の組み合わせだと 言っているなどということはありえない。これは、科学嫌いな人が逃避のために使う勝手な非難にすぎない。

(3) 「輪廻転生」と「死んだら終わり」という考え方を比較して、前者の方が良い生き方につながり、 後者の方では人生がさびしいと書いている (pp.30-31)。仏教は、そもそもインド哲学の伝統である 「輪廻転生」の考え方の束縛からの方向転換をはかるものではないのか?それを単純に 「輪廻転生」と「死んだら終わり」の二分法で語って前者を良しとするのは、仏教に反するように思える。