科学のライフサイクル

林雄二郎・山田圭一編、「科学技術システム研究グループ」著
自然選書、中央公論社
刊行:1975/10/25
名大中央図書館で借りた
読了:2009/03/11
K 先生がこの研究の成果を引用してよく話をされていたように思う。定量的なデータに基づいて、 科学の研究活動の研究をするという趣旨で、(たぶん当時としては)先進的な試みだろうと思う。 K 先生は、ひとつの研究分野にはライフサイクル、すなわち栄枯盛衰があることを定量的に示していることに、 いたく感銘を受けていたようだ。

この研究の趣旨は、研究活動の分析をすることで、研究に対する資源配分の改善に役立てようということである。 この本が出て以降、現在まで30年以上経っている。科学研究を取り巻く状況は、 改善されたところもあれば、かえって悪くなっていることろもあるように思う。 やはり、制度を変えてゆくと、あっちが良くなってもこっちが悪くなるようなことが すぐに起こるから、なかなか一筋縄ではいかないのであろう。と同時に、 現在でも、教育や研究の制度の議論は、あまり定量的な議論に基づかず、自分の経験だけに基づいて 勝手なことを言う人が多い。たとえば、教育再生会議や教育再生懇談会がそういうことをやっている。 この本は、そんなことではいけないという認識の元に、多面的に計量データを用いた分析をしている。

あとがきによると、この研究が始まったのは、1969 年秋とのこと。学園紛争で、東大で 安田講堂の攻防があったり、入試が中止されたりしたのが、1969 年というわけで、 ちょうど大学が騒然としていたときらしい。そんななかで、学問について真面目に考えようという 人々がこの研究を始めた。


簡単なサマリー

1章 サイエンス・オブ・サイエンスの展開
著者らは、科学研究の活動を科学的に研究する(science of science あるいは research on research)。 科学研究のライフサイクルに注目する。ライフサイクルは、Kuhn のパラダイム論に似ているが、 著者らは単なる叙述ではなくて、計量的な分析をする。とくに注目するのは、制度や資源配分の タイムラグの問題である。
2章 科学研究のライフサイクル
化学の研究を題材にして、研究分野のライフサイクルを測定する。具体的には、化学全体の論文の中の 当該分野の論文数の時間変化を、ローレンツ型の関数でフィットする。
y = c / [ 1 + a (x-b)^2 ]
a はピークの幅の自乗の逆数に対応し、ピークの鋭さを表す。b はピークの時点を表す。 c は研究の重要度を表す。7―9割の研究分野で確かにライフサイクルが見られた。
結果
  1. 最初の発見から研究のピークに至るまでの期間は、年代とともに減少する。しかし、 単調な減少ではなく、第2次世界大戦のあたりでいったん増加する。
  2. 研究のライフタイムは、2年から15年の間に分布し、平均値は7.4年であった。 ライフタイムは、年代による変化はなく、c(研究分野の重要度)にも依存しない。
3章 研究開発と実用化
研究のライフサイクルと製品のライフサイクルとの関係を調べる。結果
  1. 製品の立ち上がりの年から頂点に至るまでの期間は、年代とともに減少する。
  2. 研究のピークと製品のピークとの関係は3つに分かれる。(1) I 型:研究に対して 製品が著しく(20年以上)遅れるもの (2) II-a型:研究に対して製品の遅れが10年未満のもの (3) II-b型:製品に対して研究の方が遅れるもの
  3. 製品のライフタイムは、おおむね医薬品の方が合成樹脂より短い。
科学と技術の相互作用の研究はもっと深めなければならない。
4章 研究組織のライフサイクル
研究組織にもライフサイクルがあるらしい。3つの大学の化学工学科を例にしてデータを見てゆく。 年齢構成や出身大学構成などは、学科創設後20年程度で定常状態に達する。一方、学科創設後 十数年でいったんアクティビティが下がっているのがわかる。理由は不明である。
組織のライフサイクルに対するアンケートを理工系の研究機関に対して行った。 組織の創造的能力を維持する方法としてリーダーシップを挙げる人が多かったのも関わらず、 リーダーに権限を移譲することを受け入れることには躊躇する人が多かった。
5章 専門分野のライフサイクルと科学政策
高分子化学を例にして、専門分野のライフサイクルを調べた。
まず、いろいろな研究指標について、タイムラグを測定してみる。立ち上がりの年については
外国語による論文数 (1945 年) → 全論文数 (1946 年) → 特許 (1947 年) → 研究者数 (1949 年) → 研究費 (1950 年) → 製品 (1953 年)
ピークの年については
外国語による論文数 (1955 年) → 研究費 (1959 年) → 全論文数 (1964 年) → 特許 (1965 年) → 製品 (1966 年) → 研究者数 (1966 年)
といったずれがみられる。研究のピークが過ぎてから、研究基盤(研究費や研究者数)が 徐々に整ってゆく様子がわかる。研究体制が整備されたころには、研究はフロンティアから取り残されている。
次に、高分子化学のテーマ(物質)別に世界と日本のタイムラグを見てみる。外国語論文で見ると、 平均的に、日本は世界に比べると、立ち上がりが 3 年遅れ、ピークが 2 年遅れる。ただし、 抗生物質、ビタミンC、ポリビニルアセテートなどでは、日本の方が世界よりライフサイクルが先行している。
6章 理工系学生の進路選択
東大、早稲田大、東工大の工学部の進学振り分け(もしくは入学)希望率の変化の推移を最近 10-20 年程度で見る。 すると、いずれの大学でも、土木・建築系は上昇、応用化学系と機械系は下降している。電気・応用物理系は 比較的高いレベルで安定している。これらの変化は、社会的イメージの変化を反映しているようだ。
東京大学での文転の推移を 1950 年以降で見てみる。1950 年代には減少し、1958-9 年頃に最小になる。 その後 1969 年くらいまで急激に増加し、以後横ばいか減少気味である。1950 年代は、経済学部に転じる者が 多かったのに対し、1960 年代以降は、文学部、教育学部、教養学部に転じる者が多い。これらは、 社会的な状況の変化に対応しているのであろう。1960 年頃は、科学技術に対する信仰が強かったが、それ以降 公害問題などで科学技術に対するイメージが低下している。1950 年代には、社会変革への夢があったが、 現在ではそれが無くなってきている。
7章 研究・教育システムの問題点
日本では、研究者一人当たりの研究費が少ない。総額が少ないだけではなくて、研究者の数が諸外国に比べて 相対的に多いからだ。さらに、研究のライフサイクルに対して、資源配分のタイミングが遅れるという問題がある。
最後に、以上のような研究に基づいて、著者らはいくつかの提言を行っている。たとえば、柔軟な研究者を 養成するために、基礎科目を重視した教育が必要であるなどである。