学生時代

久米正雄著
角川文庫 820 緑 36-1、角川書店
刊行:1954/08/15
文庫の元になったもの:1918/05 新潮社刊
名大祭の古本市で購入
読了:2009/08/03
久米正雄の短編集である。一高と東大のことがいろいろ書かれている。 久米正雄は、今ではあまり読まれることはないけれど、NHK テレビ「J ブンガク」で、この短編集の最初にある 「受験生の手記」が紹介されていたのに興味を持ち、古本で見つけたので買って読んでみた。 当時人気作家であったことを髣髴とさせるわかりやすい語り口である。 どの短編も青春群像という感じであり、若者の感情が素直に書かれていて微笑ましいし共感できる部分もある。 今や久米は忘れられようとしていることでもわかるように、たしかに偉大な文学ではないけれども、 大正時代の学生気質がわかるという意味では、面白い作品集となっている。 ものの感じ方は今とそう変わらないのだけれども、やはりどことなく違う。 それは、エリート学生としての誇りや矜持が心理に反映するものであろうか? やはりとくに「受験生の手記」が印象的な作品である。

「受験生の手記」は一高受験の話、「母」から「嫌疑」までの六編は一高生活の話、「競漕」から 「万年大学生」までの五編は東京大学生活の話である。以下、あらすじと感想。

「受験生の手記」は、大正時代の受験戦争をストレートな言葉で語っていて、今でも共感できる。 主人公の弟に対する屈折した気持ちなどが、心にキュンと来る。
[あらすじ] 主人公の健吉は一高の受験に一度失敗して一浪中で、今年も東京の義兄の家で受験勉強に 取り組んでいる。といっても、あまり身が入らない上、義兄の姪の澄子に恋心を抱く。そうこうしているうちに、 弟の健次が一高受験のため上京してくる。試験の結果、弟は合格し、主人公はまたしても落第、 さらに澄子が弟に恋をしていることが分かる。健吉はそれら二重のダメージのために死を選ぶ。

「母」は、ある一高受験生の賢母のエピソード。

「艶書」は、寮の同室の友達のところに来たラヴレターをこっそり見てしまうという話。 ラヴレターを見られた佐治君が堂々としていて、見た方が心が痛んでいるというさわやか物語。

「選任」は、文芸部の委員に選ばれるという名誉が学生に及ぼす悲喜交々の話。 当時は今よりも文芸のステータスが高かったのであろう。あるいは単に著者が作家にもともとなりたかったから、 委員に選ばれるかどうかが重要だったということか?一高の文科には作家志望の学生が多かったようだ。

「文学会」は、作家を読んで話を聞く会のとりとめのない話なので、きっと実話なのだろう。 三木鷗村先生は森鷗外のことだろうし、松崎は谷崎潤一郎のことだ。 学生の側の久能が著者の久米正雄であろう。

「鉄拳制裁」は、風紀を乱した者を鉄拳制裁するという昔風のモチーフが出てて来る爽快物語。 大橋という学生が遊郭に通っていることを同室の須山が見つけて友人に口外したことから、 大橋の遊郭通いが寮の委員にばれて、大橋は鉄拳制裁を受ける。 しかし、大橋はむしろ制裁を受けたことで自分が勝利者のように感じていたのだった。

「嫌疑」は、貧乏と試験の重圧と田舎の父親の発狂と放火の嫌疑とで追い詰められて自殺する学生の話。 私としては、自殺という重い結末の割に物語が短すぎてちょっとついていけない感じ。

「競漕」は、東京大学内の分科対抗のボート競争の青春群像。巻末の解説(江口渙による)では 最も評価の高い作品である。解説によると、これは実話で、舵手の久野は久米自身、 整調の窪田は久保勘三郎のことである。

「復讐」は、隣家の美しい女性と法科の高田君とのちょっと艶っぽい話。若い高田君が、 勝手に舞い上がって、その後裏切られた気になって軽い復讐をする、といういわば若気の至り。

「密告者」は、ある再会の物語。同郷会で「私」は田島という貧乏絵描きに会った。 田島は「私」の密告によって図書館から雑誌を持ち出したのがバレて中学を退校になっていたのだった。 「私」は、密告を告白しそびれながらも、田島の貧乏ながらある幸せそうな生活を見て感慨を深くするのだった。

「求婚者の話」は、文字通りの一目惚れで結婚して幸せをつかんだ法科の豪傑の鈴木君の話。

「万年大学生」は、高校の同級生で、その後京大法科に行ってから、ふたたび東大経済に入りなおして いまだに大学生をしている柿沼(旧姓五百木)三次郎の話。