茶の本

岡倉天心著、宮川寅雄訳・注
講談社文庫、講談社
原題:The Book of Tea
原出版社:Fox Duffield & Company
刊行:1971/07/30
原著刊行:1906/05
廃棄してあったものを拾った
読了:2009/08/27
押し寄せる西洋文化の奔流の中で、東洋にはお茶という立派な文化があるんだぞ、と明治の文化人が 叫んでいる本である。明治人らしい気負いが横溢していて、ときには勢い余って論理がすっ飛んでいる ところもある。そこがこの本の魅力とも言えるが、やりすぎの感もある。 たとえば、第5章「芸術鑑賞」、第6章「花」のあたりは、お茶のことは半分そっちのけで 自らの芸術論を書きまくっている。

さらに、この本は欧米人に向けて書かれたもののはずなのに、西洋批判もけっこう書いている。 鋭いのは、第1章「人情の碗」(p.11) における

かれら(一般の西洋人)は、日本人が穏和な芸術にふけっているころは、野蛮国とみなしていた。 しかし日本が、中国東北の戦場で大殺戮をはじめてからは、文明国と呼んでいる。
のくだり。ちょっとやりすぎ気味なのは、「花」において (p.67) 、 「西洋社会での花の理不尽な浪費は」などと書いているあたり。

この本で、もっとも素晴らしいところだと思うのは、お茶の精神の起源を道教から説き起こしている ところである(第3章「道教と禅」)。以下、書いてあることをまとめる。 道教と禅は、ともに華南の思想であり、華北の儒教とは対照的である。 道教は、絶対不変の真理を否定し、個人主義的傾向が強い。道教では、逆説を頻繁に用いていて、 「虚」の部分にものごとの本質を見出す。禅もこの傾向を受け継いで、瞑想を重んじ、言語を大事にしない。 茶道においても、人生の瑣末なことがらに偉大なものを見出そうとする。

こんなエネルギッシュな本を英語で書いてしまえるのが岡倉天心のすごいところ。 天心は、子供の時からネイティブから英語の教育を受けていたそうだ。