利休にたずねよ

山本兼一著
PHP研究所
刊行:2008/11/07
T 氏より借りた
読了日:2009/03/24
今年の直木賞受賞作である。実際、興味深く読めるように書かれている。 利休の切腹の場面から始まって、時間をさかのぼって書かれている。 短い章に分割して、それぞれに一つの場面と主人公を割当て、昔の場面へと遡っている。 利休が十九のとき殺した高麗の女とその形見の香合というのが、この物語全体を貫く糸に なっていて、利休は、その高麗の女をずっと心の底で愛していたということになっている。 時間をさかのぼることでその高麗の女が何者であるかの謎解きをするような形にする という趣向である。それによって読者を最後まで引きつけている。 最後の場面だけは、時間を元に戻して、利休の切腹後の妻の宗恩が描かれる。 ただし、この高麗の女は、歴史の記録にあるとは思えないから、おそらく著者の創案であろう。

この小説のもう一つの糸は、利休が類い稀なる美意識の持ち主だったということで、 いかに利休が素晴らしかったかということが最初から最後まで書かれている。 誰と比べても比べようもないほど素晴らしいということにしてある。 あるとき、秀吉がなんとか利休に一泡吹かせようと悪戯をしても、 全く動じなかったということが「野菊」の章に書かれている。 そのように、利休が美においては全く秀吉にも屈服させられない権威であるということが、 秀吉が利休を切腹させた原因であるとしている。 利休を切腹に追いやったのは、秀吉だけでなく、石田三成や前田玄以も関わっている ことになっている。三成も、利休が傲岸不遜であると思っている。利休の振る舞いは、 威張っている訳でもなくそつがないのだが、自分の方が下である感じを与えるのが 腹が立つという訳である。

とはいえ、利休をこんな生まれながらのスーパーアーティストにしてしまうのは、 小説としては少し単純すぎないかとも思う。利休の美を文章では表現しかねているという 感じも少しあるし、その美意識を生涯のどこで身に付けたのかもわからなくなっている。 そのような最高の美意識の持ち主であるというだけだと小説が単調になるので、 女性を登場させ、小説としては、女性を通して利休に人間味を与えているという感じである。

そのほか、おもしろい点は、この小説には茶道用語がけっこう出てくることである。 最近ちょっとお茶のお勉強をしているので、私にとっては興味深い。でも、 お茶を知らないと、面白さが減じてしまいそうである。小説にしては珍しく、 最後のページに参考文献を挙げてある。もちろん茶道関係の本が多い。