この小説のもう一つの糸は、利休が類い稀なる美意識の持ち主だったということで、 いかに利休が素晴らしかったかということが最初から最後まで書かれている。 誰と比べても比べようもないほど素晴らしいということにしてある。 あるとき、秀吉がなんとか利休に一泡吹かせようと悪戯をしても、 全く動じなかったということが「野菊」の章に書かれている。 そのように、利休が美においては全く秀吉にも屈服させられない権威であるということが、 秀吉が利休を切腹させた原因であるとしている。 利休を切腹に追いやったのは、秀吉だけでなく、石田三成や前田玄以も関わっている ことになっている。三成も、利休が傲岸不遜であると思っている。利休の振る舞いは、 威張っている訳でもなくそつがないのだが、自分の方が下である感じを与えるのが 腹が立つという訳である。
とはいえ、利休をこんな生まれながらのスーパーアーティストにしてしまうのは、 小説としては少し単純すぎないかとも思う。利休の美を文章では表現しかねているという 感じも少しあるし、その美意識を生涯のどこで身に付けたのかもわからなくなっている。 そのような最高の美意識の持ち主であるというだけだと小説が単調になるので、 女性を登場させ、小説としては、女性を通して利休に人間味を与えているという感じである。
そのほか、おもしろい点は、この小説には茶道用語がけっこう出てくることである。 最近ちょっとお茶のお勉強をしているので、私にとっては興味深い。でも、 お茶を知らないと、面白さが減じてしまいそうである。小説にしては珍しく、 最後のページに参考文献を挙げてある。もちろん茶道関係の本が多い。