これを読んで改めて Nature やら Science やらを見てみると、最近は GFP を使った図が載っている 生物学の論文が多い。そのことからも GFP がいかに短期間のうちに生物学で必須の道具になったかがわかる。
第1章から第3章は、GFP にたどり着く前の、発光生物の研究史である。 第1章は、いろいろな発光生物の紹介、第2章は、近代以前の研究史(19 世紀まで)、 第3章は、主にホタルの luciferin/luciferase 系の研究の話である。
第4章から第6章は、GFP 革命が始まるところの核心部分である。 下村脩の話は第4章に書かれている。えらく忍耐のいる仕事をやってのけていることが 賞賛されている。下村は、オワンクラゲの発光にかかわる物質の aequorin と GFP を単離し、 さらに GFP 発色団の構造を解明した。 ついでに、下村博士のお子さんたちも優秀であるということが書かれている。 第5章は Douglas Prasher の話である。Prasher は、GFP を生物の中に入れることを思いつき、 遺伝子とアミノ酸配列を決定した。さらにクローニングにまで成功したものの、光らせることに失敗した。 Prasher は、あと一歩でノーベル賞を逃した。 第6章は、Martin Chalfie の話である。彼が、GFP 遺伝子を大腸菌や線虫に導入して光らせることに成功した。 Chalfie が成功したのは、単に制限酵素を使うのではなく、PCR を使ったからということだ。 制限酵素を使う方法では GFP 遺伝子両端の塩基が発光を妨げるとのこと。
第7章、第8章は応用の話で、さまざまの応用が紹介されている。第7章は生物学の話だが、 第8章は芸術の話である。芸術家の Eduardo Kac は、 紫外線を当てると光る蛍光ウサギを展覧会に出して物議をかもした。
第9章、第10章は、さまざまの色の蛍光タンパク質を作る話である。 第9章は、まず、GFP の構造を決定した話。George Phillps らと Steve J. Remington らのグループが 独立に構造を決定した。GFP は樽状の構造をしている。構造が分かると、たとえば色違いの GFP を作ったり することができるようになる。ところがなかなか赤の蛍光タンパク質を作ることができなかった。 赤の蛍光タンパク質の話が第10章である。Mikhail Matz と Sergei Lukyanov らは、サンゴから赤い GFP 様の蛍光タンパク質を発見した。アミノ酸配列はだいぶん違うものの、同様の樽状構造をしている。 さらに、Alexei Terskikh らは、蛍光の色が時間とともに変わる「蛍光タイマー」を発見した。
第11章以降もさまざまの応用の話で、とくに医学への応用に重点が置かれている。 第11章は、GFP 遺伝子をアカゲザルに導入した話と YFP(黄色蛍光タンパク質)クローン豚の話。 前者は、外部遺伝子をサルに導入することができることを示すのが目的、後者は、 異種臓器移植に向けての研究の一環である。第12章では、蛍光を用いて タンパク質の挙動を調べることができるようにするさらに工夫された技術が語られている。具体的には、 FLIP (fluorescence loss in photobleaching)、FRAP (fluorescence recovery after photobleaching)、 kaede(紫外線照射で緑から赤に変わる蛍光タンパク質)、FRET (fluorescence resonance energy transfer)、 BRET (bioluminescence resonance energy transfer) などである。第13章は癌研究への応用、 第14章はさまざまな病気の研究への応用の話である。第15章では、軍事安全保障技術への応用例 (地雷、化学兵器、生物兵器などの検出)が語られている。第16章は、まとめである。